音楽って楽しい。合唱に青春を捧げた私が合唱を奪われた時期と、人生最高の瞬間を経て思うこと(金原美蕾)

私にとって、合唱はとても大切なものだ。
私が本格的に合唱にのめりこむようになったのは、小学校6年生の時だ。まさしく、臼井真先生が指揮者を務めておられた「しあわせを運ぶ合唱団」に入ったことがきっかけだ。臼井先生が作曲された「しあわせ運べるように」をはじめ、様々な震災やその復興と繋がりのある曲を歌ってきた。合唱や歌を通して、阪神・淡路大震災当時の記憶や被災された方々の想いが、震災後に生まれた私の心まで繋がったことに、感動したのを憶えている。そのことで私は合唱のすばらしさや楽しさに気づいたのだ。
その後私は神戸市の中学校、高校に進学し、6年間合唱部に所属した。今も合唱団で活動している。毎年冬になると阪神・淡路大震災の記憶と共に音楽を創ってきた。
でも、私の合唱人生は素敵なことばかりではなかった。中学3年生の時には、合唱ができなくて悔しい思いをしたこともある。
【合唱ができなかった時期】
中学3年生、合唱も日常も青春さえも新型コロナ禍に奪われた
2020年の夏。私たち神戸市立鷹匠中学校合唱部72回生にとって、中学校生活最後の大会があるはずだった。
私たちが中学1年生の時、全日本合唱コンクール全国大会に出場を果たした。関西大会の結果発表の場で全国大会出場校として自校の名が読み上げられた時の先輩方の喜びようは忘れられない。涙を流し、抱き合っていた。私たち1年生はあっけにとられて、訳も分からず歓声を上げていたのをよく覚えている。あの時は当時の3年生だった先輩方が「全国大会出場」を目標にどれほど努力し、結束し、想いをかけていたか、私たちは理解していなかった。
2年生の時、関西大会銀賞でその夏は終わった。結果発表の時、体が地に落ちていく感じがした。悔しかった。この時はじめて全国大会の壁の高さを認識した。しかし演奏はその時出せる最高のものだったと自信を持って言うことができる。だからだろうか、1学年上の先輩方は涙も見せず、晴れ晴れとした表情をしていた。結果に驚きはしつつも、自分たちの演奏に悔いはない、やりきった、そんな表情をしていた。そしてその後ろ姿を見た私たち2年生は、この悔しさをばねに来年仇を取ることを誓ったのである。
しかしその夢はおろか、日常が突如として奪われた。2年生の3学期末から新型コロナウイルス感染症が大流行。毎年3月末に開催していたコンサートは中止。新学期を迎えて学校は臨時休校。当然部活動もできなくなった。
そして学校再開を目前に控えた4月末、合唱コンクールの中止が発表された。この状況で開催されることはないと分かっていたが、酷い喪失感に襲われた。やりきれない思いがした。3年生で後輩たちに全国の舞台を見せる、そこで引退する、これが私の部活動における最大の目標だった。私だけの目標ではなかったはずだ。みんな前の年のコンクールが終わった時から、次の年を意識して努力してきたのだ。
合唱が好きだから、合唱部に入った。コンクールに出るためではない。
そう言い聞かせ、合唱コンクールが無くなった喪失感を慰めていた。
卒業する前、仲間の一人が言った。
「先輩たちに敵うはずがないってずっと思ってた。コンクールがなくなって、それが明らかにならなくて、かえってよかったなって思ってる。」
確かにその通りだ。私たちは劣等生だった。関西大会で金賞を取れたかどうかも怪しい。はっきり言って、全国大会なんて夢のまた夢だっただろう。しかし、私たちは挑戦することすらできなかった。
コンクールは結果が全てではない、とよく言われたがその通りだと思っている。たった10分の演奏にひと夏を懸けるのだ。どの年にもドラマがあった。各年のメンバーによって出来上がる作品は全く異なるのだ。全国大会という夢に届かなかったとしても、かけがえのない思い出を手にできたのではないか。
私たちは2年上の先輩方のようにその夏のすべてを懸けて戦うこともできず、1年上の先輩方のように全力を出し尽くした末に叶わない夢を知ることもできなかった。コロナは私たちの青春を奪ったのである。
私は卒業後、兵庫県立神戸高等学校に進学した。合唱部が強豪であったことがこの高校を選んだ理由である。やり直したいと願ったからだ。その後3年連続全国大会出場を果たし、部の全盛期を築くことができたと自負している。高校3年生の時にはNHK全国音楽コンクール全国大会に出場し、中学1年生の頃から夢だった舞台で引退した思い出は私の一生の財産だ。
8人いた同級生の中で、高校進学後も合唱を続け、全国大会に出場したのは私だけだ。そもそも兵庫県は合唱部のある高校は少ない。他の7人にとって中学3年生のコンクールは最後の機会だった。
大学生になって学んだことは、一つのことに全力で努力した経験は何事にも代えがたいということである。私たちは共に得られるはずだったその経験を奪われたのだ。流行り病だから、誰を責めることもできない。仕方ないと諦めつつも、みな思っているはずだ、あのメンバーで歌いたかったと。
【一番気持ちが盛り上がった瞬間】
高校3年生、最後の大会で自由曲を歌ったあの時
私の合唱人生において一番気持ちが盛り上がった瞬間と言えば、高校3年生の最後の大会で自由曲を歌った時だ。その瞬間、私はこんなことを考えていた。
NHKホールって意外と小さい。紅白歌合戦をやってるぐらいだから、もっと大きいのかと思ってた。
芸文の方がずっと好き。あそこの方がずっと響く。でもそんなことはどうでもいい。多分、今が私の人生最高の瞬間。
本当に幸せ。なんて美しいのかな。
先生、とても幸せそう。〇〇さんのピアノもいつにも増して素晴らしい。本当はみんなで歌いたかった。
歌っている時って我ながら冷静。頭使うからかな。
お母さんはどこにいるかな。ちゃんと見てるかな。中1の頃からずっと憧れてた舞台に、高3になってやっと立てた。先輩に着いてったんじゃない。自分の力で立った。
Altoのパートソロ、上手くはまった。ソプラノのここ、超綺麗。男声もかっこいいじゃん。もうクライマックスだ。ここは重心を下げるんだっけ。
「この空のどこか、また交わる空」
「いつか風が僕を連れて行くから」
ここのテナー最高。
「どこまでも自由」
ここのaltoが大切だって〇〇さんが言ってたな。
この次の「ありがとう」、先生は誰に向けてって言ってたっけ。いいや、この「ありがとう」はみんなに向けて歌おう。
「ありがとう」
みんな最高にかっこいい。頑張ってる人はキラキラしてる。先輩がキラキラしてるから合唱部に入ったんだ。私、今最高にキラキラしてる。
「あの日々を翼に乗せ飛んで行く」
「時を超え、いつか空のどこか」
「いつかまた」
この歌詞は私たちにぴったり。この曲は私たちのための曲。もうこのメンバーで二度と歌うことはない。きっとみんな、それぞれの道に行く。またいつか会えるよね。
だって同じ空の下にいるから。私が言うと、ださいポエムみたい。でも別にいい。今は本当に最高。
もう終わってしまう。ずっと覚えておきたい。忘れたくない。この景色を目に焼き付けておかなきゃ。みんなの声をちゃんと聞かなきゃ。絶対に忘れない。
みんな大好き。ありがとう。また一緒に歌えますように。
音楽の力があれば、どんなことができるのだろう
憧れていた全国の舞台に立って、みんなと一緒に歌ったあの時間は、本当に美しくて幸せで最高だった。合唱って楽しい。音楽の力ってすごい。その音楽の力があれば、どんなことができるのだろうか。
震災の記憶を継承することも、音楽や合唱でできることの1つだ。私は、音楽や合唱を通して人々を元気にする活動をされている方に、お話を聞いてみたいと思った。
▶︎約700名のシンガーズグループ「human note」代表・寺尾さんへのインタビュー記事はこちら。


