誰ひとり取り残さない避難を目指して〜災害時、障がいを持つ方をどう助けるか。たつの市役所に聞く〜(楠本明日香)

remember117, remember117_30年

地震が起こった時、自分なら何をするだろう?私はふと考える時がある。まずドア、玄関を開ける。そして、机の下に隠れる。ベッドの下に置いてる防災バッグを持って逃げる。でも、そんな上手くいくわけない。そういえば、祖父と祖母は目が見えないって父が言っていたな。障がい者は災害が起こった時、どうなるのだろう。私はどうやって助けてあげられるのだろう。この取材はそんな思いから始まった。今回は兵庫県たつの市役所危機管理課の家さん、地域福祉課の前田さんに取材させていただいた。

「気が引けるから、地域の支援者にはよう声かけられへん」
~避難計画と地域のつながりの希薄化~

私は祖父と祖母が視覚障がい者だったが、災害が起こったらどうするのか考えてもみなかった。災害が起こったら、多くの人が自分の命を守ることだけを考えるだろう。多分、私も。障がい者は助けてもらえるのだろうか、障がい者は見捨てられてしまわないだろうか。私の不安は必要のないものだった。
今回取材させていただいた兵庫県たつの市では、「登録台帳」というものが要支援者1人1人に対して作られている。簡単に言うと、「登録台帳」には緊急連絡先やその人独自の避難計画、災害時に支援してくれる人の情報などが載っている。障がいは1人1人違って、それぞれが求める支援の形は様々である。「登録台帳」は個々に寄り添ってくれているものだと私は感じた。
だが、同時に現場では、上手くいかないこともあるようだった。「登録台帳」では、要支援者にそれぞれ“地域支援者”と呼ばれる人を少なくとも1人は登録することになっている。災害時に避難をサポートしてくれる役割の人だ。私はふと、自分が要支援者になったとしたら誰に地域支援者になってもらうんだろうとおもった。この春に引っ越してきたばかりのマンションには気を遣わず頼れる人がいない。それどころか名前すら知らない人ばかりだ。そんな人に地域支援者になってほしいと頼める勇気が私にはない。前田さんも、「地域コミュニティの希薄化が進んでいて、障がいを持つ方が遠慮がちになり苦慮している」と話してくれた。コミュニティがよく形成されている地域であれば、「私が地域支援者になってあげるよ」と積極的な声掛けがありそれがスムーズに受け入れられやすい一方で、あまり地域のつながりがないところでは、「気が引けるから、地域の支援者にはよう声かけられへん」「誰に頼めばいいかわからへん」と言って、要支援者が遠慮するケースも多いらしい。「何かがあったときは地域ぐるみで助け合ってくださいねということをお話しすると、いや、じゃあもういいわってなっちゃうんで、そこがもどかしくて」と前田さんはそう本音をこぼしていた。社会問題としてもニュースで取り上げられる地域のつながりの希薄化という問題が、こんなところにも顔をのぞかせているのかと感じた。避難するなかで助け合うこと、お互い協力すること、つまり共助を前提とする「登録台帳」を用いた計画を進めるうえで、地域のコミュニティ機能の維持は無視できないものとなっていた。

(写真左)地域福祉課 前田さん(写真右)危機管理課 家さん

地道に、ちょっとずつでも。
~遠慮から生まれる、要支援者とのすれ違いを埋めていく~

地域のつながりの希薄化が地域支援者を探すうえで問題になっている。「なにか工夫とかってされているんですか?」私の小さな頭では良い解決策が思い浮かばなかった。「地域をつなぐ存在である“民生委員”さんに声を掛けて、要支援者と地域支援者をつなぐお手伝いをしてもらう……ということをしているのですが。人を介することなので思うようには進まなくて。でも、地道に、ちょっとずつでも、登録台帳が出来上がってほしい、という気持ちでやっています。今は地域支援者まで埋まっている台帳が約70%ほど。自治会で、今後この台帳を使って訓練をやってみようという話もあります。そういうモデル地域を増やしていけたらなって」と前田さんは答えてくれた。前田さんや家さん自身も手探り状態だった。地域のつながりが少なくなっているからこそ、つながりを作る手助けをして、共助できる体制づくりを何とかしようとしている。「登録台帳を書き進めてくれていた要支援者の方が、地域支援者の名前を書く欄を見た瞬間に“こんなん頼めへんし、迷惑かけるからいいわ”って遠慮なさることが結構あるんです。だけど、実際にお顔を知っている人になら頼れることも。なので民生委員さんのお手伝いによって、あの人がおったな、じゃあお願いしても大丈夫かもな、と安心して書いてもらえることがあります」と、前田さんは実際にあったエピソードも話してくれた。私も1人では自分の地域支援者を見つけられる気がしなかったが、一生懸命な行政の人や民生委員さんがいてくれれば、勇気を振り絞れる気がした。
現状、行政が努力をしても、「登録台帳」の勧めを断る人は多いそうだ。「自分の情報を教えたくない」、「立ち入ってほしくない」、断られる理由は山ほどある。でも、災害が起こったら、遠慮なんて言っていられないと私は思う。前田さん・家さんや民生委員さんが日々感じるもどかしさと、要支援者の方が抱える思い、それをひとつひとつ紐解くためにみなさんが積み重ねていく頑張りを、話を聞きながら感じた。

「災害ってなかなか来おへんやろって思ってたけど、この考えじゃあかんなって」
~防災意識を高める行政の取り組み~

近年、防災意識の低さを訴えているテレビ番組やネット記事を目にすることが多くなってきた。私は父の仕事の関係で、知らず知らずのうちに防災に興味を持っていた。だが、私のように防災に興味がある友達には出会ったことがない。防災に興味がある私は周りから特別に思われた。危機管理課で働いている家さんも、仕事で防災にかかわるまでは、私の友達と近い感覚だったようだ。「最初は防災をやりたい、という気持ちはなくて、防災に関する知識もなかった」と防災の仕事を始めたころの心情を教えてくれた。今こうやって防災のことについて話してる家さんでさえ、もともと防災意識が高かったわけではなかったんだと驚いた。「仕事をしていく中で防災について変わった考えとかってありますか」防災意識が低かった人が防災にかかわっていく中でどう変わるんだろう、単純に気になった。「災害ってなかなか来おへんやろって、そんなに心配してたらダメやろって考え方だったんですけど、仕事に携わって経験したことや実際に被災した人から聞いた話で、この考えじゃあかんなと思って。自分みたいなもともと意識の低い、若者世代とかに防災を広めないといけないなと思って」と家さんは答えてくれた。きっかけがあれば防災意識を高めることができるんだと私は感じた。では、そのきっかけはどこにあるのだろう。「どうやって防災意識を高めるかっていうのは、常々考えている課題なんです」と家さんは言う。取り組みの一環として、出前講座に沢山参加しているとのこと。「防災意識の高い自主防災組織や地域の団体さんが、今回は地震をテーマ、次は風水害をテーマ、とどんどん講座の機会を設けてくれるんです。そこに行政の者として参加して、僕たちもこんなことをやっています、地域のみなさんもぜひ助け合ってくださいねとお話しさせてもらって。かたや、そういった意識が低くて、講座の機会が設けられないといった地域もあるので、どうやって防災意識を高めようかなと考えるんです」また、出前講座に参加する方は9割がお年寄りらしい。「30・40代の方、子育て世代の方とか、ほぼいないんです。もっと若い世代にアプローチしたいですね。今力を入れているのは、小学生に観点を置くこと。防災食を食べてもらったりとか、防災グッズの新聞紙スリッパを作ってみようとか、そういうことだと子どもたちは楽しんでやってくれるし、それを子どもから親御さんに『今日こんなことしてきたよ』って話してくれるといいなと思って」新しい講座の形だなと感じた。実際体験することで興味も持つ、さらに、体験した子どもにとどまらず、周りの人間の防災意識も高めることができる。この話を聞いて、思い出したことがあった。今は離れて暮らしている高校生の弟が、『学校で段ボールベッドを体育館に作る体験をした』と電話で話してくれたことがあった。その時、弟は段ボールベッドの頑丈さ、体育館に作れるベッドの数の少なさを感じたと話してくれた。家さんが言っているのはこういうことだと、少し鳥肌が立った。ほかにも、出初式と一緒に防災イベントを行うことで少しでも多くの人に興味を持ってもらう工夫、きっかけづくりをしているそうだ。行政は日常にたくさんきっかけを撒いてくれているんだなと思った。

「若い力って、すごい力がある」
~学生に期待すること~

私がたつの市役所に取材にいった理由──……どうすれば障がい者の方を助けてあげられるのだろうという思いは、お話を聞いているうちに「少しでも前田さんや家さんの力になりたい」、そして、「災害が起こったときに市民の皆さんが感じる悲しみを少しでも減らしたいな」という思いになっていった。そこで、改めて私は尋ねた。「私たちの世代に期待することって何ですか」家さんはこう答えてくれた。「大学生の卒論の時期になると防災について問い合わせが結構あって、興味を持っている方が意外といるんだなと思っています。アクションを起こしてくれる子たちがいるんじゃないかなと個人的に思ったりする」と。私の周りには防災に興味がある子なんていないだろうと勝手に決めつけている自分がいた。だから、仲間がいると聞いて少しうれしい気がした。また、災害発生時、私たちの世代ができることとして、「心のケアを手伝ってもらえるのも、いいと思います。被災地には精神的にすごく参っている方が多いので、声をかけて、話し相手になってあげてほしい。お話しが出来るだけでも全然違う、と思うんですよ」と前田さんからアドバイスをもらった。「それに、若い子のそういった動きって影響力があるなと思って。若い子が頑張ってるなって、周りの心を動かすというか。若い力ってすごい力があると思います」
私は幸いにも、人生で避難所に足を運ばなければいけない事態になったことがない。ニュースでしか避難所を目にしたことがない。だが、ニュースでも十分すぎるほど、避難所の空気の重さを感じた。悲しみに暮れ、涙も枯れてしまった人、未来の光が途絶え、途方にくれる人。その人たちに、若い世代として何かしたい、そう感じた。私は勝手に、被災者のためになること=形として残るもの、だと思っていた。例えば、がれき撤去作業や炊き出し、避難所の設営など。だが、前田さんの言葉を聞いて、話し相手になることも自分たちに出来ることのひとつなんだ、と気づいた。“会話”ができることの大切さは、私にもわかる気がする。1人暮らしを始めて2年。大好きな家族と離れ毎日生活をするようになってから実感したが、誰かの声を聴くこと、何気ない会話ができるということはやっぱりとても落ち着く。被災したときは、なおさらだろう。前田さんの「若い力ってすごい力がある」という言葉に、自分たちにしかできない、ほかの誰でもない自分たちがアクションを起こさなくてはいけないというメッセージも感じた。

今回の取材を終えて、忘れられないことがひとつある。家さん、前田さんが全力で防災に取り組んでいる姿である。防災に対する熱量、市民を一人でも多く救いたいという思いを、1時間ほど同じ時間を過ごしただけで感じたことがすごく印象的だった。防災を仕事、生計を立てるためのものという存在で終わらせていない、2人の生き方がとてもかっこよく感じた。2人に出会えたことが、将来の私の大きな一部になっていると思う。この場をお借りして、今回私の興味から始まった取材に応じてくれた家さん、前田さんに、かけがえない経験をさせてくださったと感謝を述べたい。