Iさんに聞く 前編(原 郁海)
11月23日(土) 15:30
ヴィッセル神戸の試合がノエビアスタジアムであったらしく、ユニフォーム姿の人であふれる兵庫駅。近くのドトールで集合の予定だったので、黒糖ミルクタピオカを飲みながら待った。しかし、土曜日の午後のまったりした時間ということもあいまって若者であふれ、とても取材できるような状態ではなかった。
そこで今回取材させていただく相手であるIさんが、「いい感じの喫茶店がある」ということで、わざわざ案内していただき、Iさんはホットコーヒーを、私はレモンスカッシュを頼む。
Iさんは震災が起こった当時、27歳。開局して5年のKiss FM KOBEで働くキャリアウーマンだった。
長田に一人暮らしをしており、地震が起きる前日は朝まで飲んでいたと笑いながら語り始める。
震災が起きる前日1月16日は休日で休みだったけれど、仕事の準備で休日出勤し、仕事が終われば飲みに行き、12時に帰宅。酔ったまま、ロフトベッドにて入眠。
1月17日 地震が起きる。
ゴジラが来たのか、アルマゲドンが起きたのか、隕石が降ってきたのか。何が起きたかなんてわからない。悲鳴が聞こえる。
【家は全壊。】
ワンルームマンションの8階に住んでいた。一刻も早く、避難しなければならない。
しかし、玄関が開かない。地震で部屋がゆがんでしまったためか。
外の様子が気になり、布団をかぶりながらベランダの扉を開ける。初めて外の様子を見る。
駅の方からぱちぱちと音を立ち、火が上がっていた。
急いでベンチコートを着、昨日も使った鞄を取り、ベランダからの避難を試みる。
それまで挨拶もろくに交わさなかった「初めまして」の隣人達と協力し、部屋の仕切りを破りながら必死に前に進んだ。
近くの小学校が避難所にたどり着いたが、すでに満員。保健室の前は亡くなった人が眠っていた。トイレも6時30分の時点で使用不可。水が足りなかった。
その時なぜかIさんは「9時30分までに会社に行かなあかん、遅刻してまう」と思ったそう。
日本人的な考えやな、間に合わんかもしれん、そもそもチャリも使えん、そうや電話かけよう、燃えて溶けて使えへん。
NTTが電話を使わせてくれる、長い列を7時30分から2時間も並んだ。
電話料金はタダで、3件まで電話をかけることが出来た。
職場と実家に電話をかける。会社にはつながらなかった。
一緒に避難した仲間の彼氏がバイクに乗って神戸方面に行くというので
Iさんは会社に行きたいから同乗をお願いすると許してくれた。
非常事態であったので、ノーヘルでバイクの後ろにまたがり、会社へ。
ついたのは夜の11時だった。
私はこの記事を書くのに2か月弱かかってしまった。
Iさんは声も表情をも明るくし、震災のリアルを話してくれたのだが、内容は暗いものが多く、そのギャップが受け止めきれなかった。
大きな災害を知らず、20年間生きてきた私が、どんな言葉で記事を書けばいいのか。
ごめんなさい、ここまでを前編とさせていただきます。