そこの女の子、私はあなたくらいのとき、そんな目で地震の写真を見たことはなかったよ。:岩手県大槌町定点観測写真展〜東日本大震災から8年〜を見に行った話(福島由衣)
2019年11月17日、「岩手県大槌町定点観測写真展 〜東日本大震災から8年〜」に向かった。
高校生の子たちが主となって、毎年決まった場所の風景を写し続けている、定点観測プロジェクトの写真展。
会場は人と防災未来センター。
その日思ったことや、考えたことを、ここに書こうと思う。
小学校か中学校の社会見学で、人と防災未来センターに訪れた気がする。もしかしたら、小・中両方かもしれない。あの頃、あそびに近い感覚で見学していたことを思い出す。
最近は、ちょっとちがう。家族のなかで守られ、育ててもらう存在だった私は、もう守る側にならないといけない。
私は26歳になった。祖母と母と私の女3人家族。祖母は80歳を過ぎて、いくつになってもきれいなおばあちゃんだけど、脚が以前よりだいぶ動きにくくなった。うちには祖母の杖や車椅子がある。災害が起こったとき、おばあちゃんは多分、というか絶対、逃げづらい。
2019年に大阪で起こった地震では、神戸に住んでいる私たちの家も揺れた。家具が、がたがたと音を立てたのは久しぶりだった。そのとき家にはおばあちゃんと私だけだった。全身が、血が沸騰するみたいに緊張して、心臓が耳元でどくどく鳴るみたいにうるさいなか、おばあちゃんを机の下に隠した気がする。結果的にはそれ以上の揺れがやってくることはなく、無事に収まった。でももし何かあったら、私は家が崩れても、背負って走ってでも必ずおばあちゃんを助けてた。それでお母さんに連絡を取って、もし取れなかったら、職場まで様子を見に行って。揺れたときに頭の中でビュン、ってたくさん考えた。
地震ってきっと、ほんとにこわいよ。
さて、家を出て電車に乗る。
会場の最寄駅はJR神戸線 灘駅。
そこからまっすぐ道を行き、到着。
今回の写真展は、東日本大震災に関するもの。私がその地震について知っていることは、ほとんどがニュースを経由している。あとは知人の話。地震がこわい、という感覚は、守る側になるべきだと考え始めてから以前より断然わかるようになったけれど。未だ、自分の中にぼんやりしている部分があることも感じる。
自分に降りかからない災害は、まるで違う世界で起こった出来事のように見えてしまう。同じ日本で起きたことだとしても。
おばあちゃんと二人きりのとき自宅が揺れたら、あんなにこわく感じるのに。その感覚は根付いたはずなのに。自分のことでなければ、こんなにも薄情になる。
写真を見て私は一体なにを感じられるんだろう。と思った。
写真展には、東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県大槌町の写真が展示されていた。それも、大槌町のなかでいくつも決まった地点を定めて、その場所の震災前・震災直後から現在に至るまでの移り変わりを写している。
駅。震災発生後の2013年4月には、根こそぎ施設がなくなっているのがわかる。
津波だろうか。
写真越しに、びっくりするような被害を目の当たりにした。日常にあったはずのものが一瞬で崩れる不条理はほんとに存在するんだ、とか。 綺麗な町並みに修復する作業、天災なのに人間が全部しないといけないんだよな、とか。復興するまでに何年もかかるなあ、その時間の流れのあいだで中学生は高校生になるし、高校生は大学生になるなあ、とか。そう思ったけれど、やっぱりなんだか違う世界のことのように感じていた。
でも、とある定点の写真が目に映ったとき、心の底から「うわ」と思ったし多分声に出た。
小槌神社の写真だ。
鳥居は崩れていなくて、ほっとしたけれど。地震後、木々とか、その周りのものがなくなっていると思う。
神社というものが、自分にとって、ちょっとだけ特別なのだ。幼少期を過ごした家の真横にちいさな神社があった。その敷地の林のなかで、今はいない祖父とどんぐりや落ち葉を拾った。夏はお祭りが開かれて、毎年、へたくそな盆踊りを楽しんだ。小学校の帰り道、ひとりになりたいときも行ったし、友だちと内緒話をするときも行った。
写真を見て、自分の大切な、懐かしい思い出をおもいだした。そうしたら、一気に不安になって、びっくりした。自分の大事な場所や、人が、奪われたらいやだと思った。守らなきゃ、守れるかな、と思った。
“祭りの時によく通った道。新しい家が建ち以前とは違う雰囲気だけど、お祭りの時は変わらない活気を感じます。”
小槌神社の定点観測写真に添えられたコメント。なんだかすこし、安堵をしたし、切ない。
この定点観測プロジェクトで撮りためた写真は、約3,000枚にもなるそうだ。毎年、決めた定点の風景を撮っているなかで、たまには抜け落ち箇所だってある。それが「すべて人の手でひとつずつ撮られていること」を如実に感じさせた。すごいなあ。
今回、私は初めて、別の世界の出来事ではなく、自分にも訪れておかしくない災いとして東日本大震災を見た気がする。
実際、つい25年前に阪神・淡路大震災を経験しているのだ。そのときは1歳だったからなんにも覚えてないけど、もう、降りかかっているのだ。死ぬまで多分あと60年くらいはあるから、また大きな地震を経験すると思う。
あと、もうひとつ、忘れちゃいけない感想があった。写真を見て、不安を覚えて、いわゆる「危機感」を持つことができたのだが。同時に、「悲惨な状況からなんとか必死に起き上がる希望」も持てた。駅がなくなったり、軒並み家が消えたり、写真のなかでたくさんの被害があったけれど、何年かけてでもそこから復興していけるんだ、人間って。そう感じた。でも並大抵のことじゃないはずだ、本当に。だから、震災被害を受けて、復旧に奮闘している人たちは、すごいという表現なんかじゃ到底表せないくらいすごいと思う。
いつかの私にはできるかな。
わかんないけど。
身体が動くあいだに地震が起こったら、絶対、おばあちゃんとお母さんのこと、助けよう。できればひとり暮らししている友だちも。あと、いつも挨拶してくれるお隣さんとか。ほぼ毎日使っている、家から徒歩5秒のコンビニの店員さんとか。できれば。
それで揺れたあと街がしっちゃかめっちゃかになったら、なるべく、泣いてないで瓦礫をどけたり、炊き出しを手伝ったりしよう。
身体が動かなくなった頃に地震が来たら、多分その頃はもう私の家族ってみんないないから、新しい家族がいなければひとりでなんとかすることになるけど、できるだけ、なんとかしてみよう。足腰それなりに保っておかなきゃやばいかな。
その日が来ちゃったらやるしかない。大事なものは自分たちで守るしかない。こわいな。とりあえず、何か起こった時用のモバイルバッテリーを家族の人数分ちゃんと揃えておかなきゃ。こないだから立て続けに数個壊れてそのままなのが、すごく気になってる。