自分を見つけた半年間(稲澤遥樹)

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私の防災人生は4歳から始まった。
きっかけはとあるテレビ番組の震災特集。テレビに映し出された映像は当時の自分にとって衝撃的なものであった。焼け落ちる屋根、倒れた高速道路……その中でも特に印象的だったものが、関東大震災の際に発生した火災旋風によって、人々が宙に舞いあげられたシーンであった。
その写真は当時の自分にとって「恐怖」そのものであり、いつもそのシーンが映し出された際は手で目を覆い、可能な限りみえないようにしてきた。しかしなぜか当時の自分はその番組を何度も何度も見返し、最終的には暗唱ができるようになるまでになった。
どうしてその番組を何度も見返していたのかそれはいまだに分からない。
しかしその番組が当時の自分、そして今の自分にとって非常に大きな影響力を与えているのは間違いない。

こうして防災に興味を持った自分は、一昨年度に防災士の資格をとり、様々な防災活動に参加してきた。
そしてこの夏、自分が目標としている大学院に行った際この「リメンバー117」を教えてもらい、いつも通り、防災の活動だから参加しよう! という軽い感覚で参加していた。
しかしそこで言われた最初のお題は「なぜ自分が防災に興味をもったのかを考える」という物だった。正直困惑した。
しかし当時、大学のAO試験も視野に入れ、学校でも入試資料を作っていた自分は、今思うと少し自信があったのだろう。
よく書く自分を前面にアピールし、簡潔した文章を書いた。
『良いものができた。早く可能な限りたくさんの記事を書きたい!』そんな思いでいっぱいだった。

そして迎えた水曜日。
編集長の方はどんな風にこの文章に赤を入れるのだろう? そんな風に思っていた。
しかしその日編集長から言われた言葉は、「文章が完成しすぎている」であった。衝撃だった。
そして「もっと自分自身をえぐって書いてみて」と言われた。

その日から一週間悩みに悩んだ。
自分の中で正解だと思っていたものがここでは通じず、答えを出すなと言われた。そんな考え方を今までしたことがない……どうすれば編集長の求めている答えなのか。
しかしそうして考えていく中で一つのキーワードが浮かんだ。

「自分らしく書けばいいのではないか?」
変に気取らず、カッコつけず、素の自分をさらけ出せばいいのではないか?そう思い今までの文章をすべて消して、一から文章を書いた。
思えば、自分は当時の自分が嫌いだった。
活動を中学生の時から始めた影響で沢山の人に褒められた。「よくがんばってるね!」「すごいね!」しかしその分プレッシャーもかかる。その人たちの期待を裏切らないように。その人の求めてる答えを出さないと。
そうやって必死に、求められているはずの自分を作ってきた。
けれどそんな張りぼての自分にはいつか限界が来る。
既に自分自身がしんどくなっていた。いつの間にか素の自分を見失っていたのだ。
あれ? 自分ってどんな人間だっけ? よくそんなことを思っていた。

そうして自分らしさ、ありのままの自分を久しぶりに書いていった。もちろん一回で書ける訳もなく何度も、何度も書き直した。
だがそうしていくうちにどんどん楽しくなっていった。
自分の本当の心情、思いが10本の指を通して画面に表示されていくのだ。

そしてまた水曜日が来た。
こんどこそ! 新しい文章を読み編集長の意見を待つ。
この時、頭ではほとんど何も考えてられなかったというのが事実だろう。

「めっちゃ文章変わったな! ええと思う」

本当に嬉しかった。
いや、嬉しかったなどの簡単な言葉では到底説明できない、今まで褒められた時とは全然違うまた未知の感情が湧いてきた。
それと同時に何も言葉で着飾らない、裸の自分を受け入れてくれたという事に安心した。
そうして始まったリメンバー117。
時には起震車に乗り、時には一人で名古屋に取材に行った。
そうしながらも受験生である自分は様々な失敗を受け入れながら次のステージに進むため必死にもがいた。
防災プロジェクトのメンバーとして活動しながら人生の一大イベントである大学受験に立ち向かった。決して楽な道のりではなく、たくさん悩み、たくさんつまずき、時には涙を流しながら躍動の半年間を過ごした。

しかしその毎日が貴重な日々であり、決して他の人には真似できない「自分だけの自分らしい」毎日だったと思う。そうして半年間が過ぎこのプロジェクトもこの記事を持って最後となる。
四月からは自分が防災に興味を持つきっかけとなった、一人の教授の下で研究ができることになった。
またその事は、このプロジェクトの原点である「なぜ防災に自分は興味を持ったのか」という所にもつながってくる。
自分を大きく成長させてもらい、たくさんの大切な人と出会わせてくれたこの濃厚な半年間には、本当に感謝しかない。
「自分のことは自分が一番分かっている」とよく聞くが、本当は全然自分のことなんて分かっていない。
いまこうして記事を書いている途中であっても自分ってどういう人間なんだろうと考えながら書いているからだ。
しかしそうして迷い、考えながら毎日を進んでいくうちに、いつかまた今の自分には見えていない『自分らしい景色』が見えるのではないかと思う。