湯川広報官が早金防災監に聞く。
(PJT事務局)
兵庫県の人には、被災者のきもちや状況に寄り添える、そういう優しさのようなところがあるのではないのか。
阪神・淡路大震災の翌年に。
湯川:あらためまして、こんにちは。昨年4月、早金さんは防災監になられ、私は民間からの初登用というかたちで広報官になりまして、1年余りが過ぎました。そこから、いわば内部からも、兵庫県の防災の取組について学び、昨年の津波一斉避難訓練なども関わらせてきましたが、やはり、あの阪神・淡路大震災を経験した兵庫県だからこそ考え行う「防災」について、まだまだ理解が足りないのではないかなと思っています。
ということで今日は、あらためて初歩的なところからお伺いしたいのですが、そもそも「兵庫県防災監」とは、具体的にはどのようなお仕事でいらっしゃるんですか?
はい。一言でいいますと、「災害対応の総括者」です。
「災害」というのは、台風・大雨・地震などの自然災害もありますし、また最近ですとヒアリや新型インフルエンザ、あるいは“国民保護事案”というのですが数年前には外国によるミサイル発射実験などもありましたね。これらすべての、いわゆる危機事案全般になります。
このような災害が起こった時には、県ですから兵庫県内にある41の市町や、その他あらゆる情報を収集して、必要な対応をします。たとえば自衛隊や警察などの機動部隊に、知事から救助要請をするための判断が必要になることもあります。とにかく情報収集が大事ですね。
なので、災害時にいつでも対応できるよう、私は週末もふくめて県庁近くの宿舎に寝泊まりしています。いざというときには、すぐに災害対策センターに駆けつけます。湯川さんもいらっしゃる県庁舎の、道路を挟んで北側にある、災害対策専用の建物ですね。ふだんも仕事はそこでしています。
ここには、あまりみなさん来られる機会はないですよね。県庁見学の小学生くらいかな(笑)
湯川:あ、私も一度、見せていただきました。たとえば映画『シン・ゴジラ』の対策本部シーンに出てきそうな、バーンと大きいモニターがあって、ライブカメラも含めて何か所もの映像が同時に映っていて、テレビ会議もできる。かなり格好良いですよね。
格好良いというか、あのような機能が必要だということが、兵庫県は経験からわかったのですね。阪神・淡路大震災が起こった当時は、災害対策本部室が、本庁舎、いわゆる県庁の最上階にあったんです。なので停電、断水、通信回線のダウン、それに建物そのものへの被害などで、十分な災害初動ができなかった。その教訓から造られた施設です。
完成したのは2000年。当時、全国自治体初の災害対策専用庁舎です。この「防災監」という役職ができたのは、1996年、阪神・淡路大震災の翌年になります。災害対応の統括者として、ふだんから情報収集をして防災・減災につとめる役割が必要だということを、災害の経験から学んだんですね。私は、十代目になります。
それで、去年、大阪府北部地震がありましたでしょ。兵庫県知事と一緒にすぐに高槻市に行って市長に「今はこんなことに気を付けないといけない」というようなアドバイスをさせていただいたのですが……
湯川:え、兵庫県内だけじゃないんですか?
あ、私、関西広域連合の広域防災局長も兼任しているんです。関西広域連合というのは、8つの府県と4つの政令市からなる団体です。そこで「広いエリアで、力を合わせてやった方が良い」と思われる7つの分野で協力をしていこう、というなかに、「広域防災」の取組があるんですね。
その長にはやはり、災害の経験がある兵庫県がなるべきだろう、ということで、兵庫県防災監が広域防災局長も担当しています。ですので、大阪府北部地震の時にも知事と一緒に行きましたし、職員を派遣して支援もしていますよ。
東日本大震災のときにも、「カウンターパート方式」といって、関西各府県で分担して東北3県をそれぞれ責任をもってサポートする、という取組をしています。兵庫県は宮城県の担当として、いまでも職員派遣を続けているんです。
阪神・淡路大震災の際に倒壊した家屋の下から引き出されて助かった人の約8割は、近隣の方が救助されたということです。
湯川:ところで「防災」という言葉なのですが、防災監を目の前にして申し訳ないのですが、広報の現場にいますと、なんとなく「遠い」と感じられていることが多いのではないかなと思います。「やらなくちゃいけないことは、もちろんわかってるけど、でも……」とか、「防災力を高めよう! と言われても、具体的にどうしたら良いかと言われると……」というかんじで。……私自身も、そういう部分はあるのですよね。阪神・淡路大震災を経験していないからかもしれませんが。
いや、そうですよね。それが普通だと思います。あのね、これはあくまでも個人的な意見なのですが、私は、地域力が高いところは、防災力も高いのではないかなと感じているところがあるんです。
私は阪神間のベッドタウンで生まれ育ったのですが、仕事で一時期、西播磨(※岡山県に近い、4市3町の地域)県民局にいたんです。もちろん年齢層も高めなのですが、それでも、地域力が高い、つまり元気なリーダーがいて積極的にいろんなことに参加する住民がいる地域は、防災力も高いんですね。
実際に、ある調査によると、阪神・淡路大震災の際に倒壊した家屋の下から引き出されて助かった人の約8割は、近隣の方が救助されたということです。あの、こういうことを言うとね、「行政が責任を放棄するのか」というお叱りを受けてしまうこともあるのですが、事実として、あの規模の災害が起こると、公助、つまり公的機関による救助や支援が間に合わない場面も実際に出てくる。公助ができることには、限界がある。この調査結果は、地域における住民同士の助け合い、「共助」の大きさ、大切さをあらわしているのではないかと思います。
湯川:じゃあ、ふだんから地域の防災訓練とかに参加をしておけば……。って、やっぱり、ちょっとハードル高いかもしれないです。ごめんなさい。
地域の防災訓練や避難訓練に参加できれば、もちろんとても素晴らしいと思うのですが、それだけに限らないですよ。たとえば昨年、2018年の西日本豪雨災害では、とくに被害の大きかった地域で亡くなった51名のうち42名が、障害者など避難行動要支援者だったという事実が明らかになっています。リストはあったのだけど、こういうときにはこの人はこう助ける、という、個別の計画までなかったからではないか、と言われています。
一方で、すぐ隣の地区では、要支援者が30名いたのですが、全員避難して死者は0名でした。この地区では、東日本大震災をきっかけに自主防災活動を始め、ひとりひとりに合わせて、たとえば車イスでの避難訓練をしたり、夜間の避難訓練をしていたそうです。それが、実際の水害への最大の備えになったんですね。
このような事実も受けて、兵庫県では昨年から「防災と福祉の連携促進」を進めています。高齢者や障害者など、避難時に特別な支援を必要とする人に対して、福祉専門職の方が地域とともに避難の個別支援計画をつくる取組を、今年は全県で行います。
たとえば外国の人も、避難に支援が必要ですよね。まずは、どんな人がどこに住んでいることを、地域の人がわかっているところからスタートかなと、思っています。
湯川:あ、私、スペインに住み始めた頃は、断水や停電の知らせがわからなくて、同じアパートのひとたちにとても助けてもらったんです。私がぎっくり腰なのを知って、給水所から水まで運んでくれたりしたこともありました。いまこっちで、たとえばラテンアメリカのひとにスペイン語で「あっちへ逃げて」と言ったりとかならできると思うし、すごくやりたいです。あ、やっぱり広報ですね(笑)
いいですね。地域の人が、それぞれ、「このひとはこういうことができる」ということを地域で共有できれば、とても素敵なことだと思います。兵庫県立大学大学院減災復興政策研究科長をつとめる室﨑益輝教授も、これからの防災は「全員で全員を助ける」ことが大切になるという趣旨のことを言われていますね。
果たせる役割はそれぞれある。
湯川:私は、阪神・淡路大震災の時には20歳で、東京の大学生でした。九州出身ですし、当時は関西に縁もなくて、「何かした方が良いんだろうけど、どうしていいかわからない」と、何もしなかったんです。そのことへの悔いというか申し訳なさもあって、実はこれまであまり式典に参加しなかったり、当日はひっそりしてたりしていたのですが……。
そうでしたか。実は私も、震災の当日は東京に出張していたんです。だから「あの瞬間、あの音と揺れが」という会話になると入っていけないところはあります。なので、おそらく少しはそのお気持ちを想像できると思うのですが、「当時現場にいなかった人」も含めて、果たせる役割はそれぞれあるのではないかなと思っています。
あの阪神・淡路大震災があった兵庫県はいま、「防災先進県」と言われています。そこで暮らしたり仕事をしたり学んだりしている私たちにしか、できないことがあるかもしれません。
ヒントになるかもしれないと思うのが、人と防災未来センター長で、ひょうご安全の日推進県民会議企画委員長でもある河田惠昭教授による、「災害文明と災害文化」という問題提起です。災害文明、つまり防災の技術は、目覚ましい発展を遂げた。だけども無形の災害文化が追いついていない。そのひとつの例が、西日本豪雨災害の際、全国で約860万人に避難指示・避難勧告が出されたけれど、避難した住民が約4万人、0.47%に過ぎなかったという事実である、と。災害文化、つまり防災の精神の方が、追いついていないのではないか、という指摘です。
湯川:え、避難した人って、1%未満とか、そんなに少ないんですね! たしかに、どれだけ技術が進んでも、警報なんかの精度が上がっても、最後に逃げるかどうかは、その人次第ですものね。うーん、自分が当事者として考えられるかどうか、ということなのでしょうか。
当事者として考える、というのは大切ですよね。これは自慢げに言うような話ではないのですが、個人的に、なんというか、兵庫県の人には、被災者のきもちや状況に寄り添える、そういう優しさのようなところがあるのではないのかなと感じています。阪神・淡路大震災の記憶を、地域で受け継いでいるからでしょうか。
だから、よそで困っているひとがいると、黙っていないですよね。東日本大震災もそうですし、熊本地震でも、行政職員もですが、本当にたくさんのボランティアの方が現地を訪れ、いまだに応援をし続けています。そういう人を見るにつけ、これが兵庫や神戸らしさなのかもしれない、と思ったりします。
湯川:たしかに! 私のまわりにも、たくさんの顔が思い浮かびます。それぞれが自分で判断して、パッと行動して、人を助ける。それが共助というのでしょうか、本当に、防災に限らず日常でも、そんな力を強く感じて驚くことが数多くあります。
すごいですよね。そして被災地では、「あの神戸から来てくれた」「兵庫県から来てくれた」ということで、すごく頼りにしていただいたりするのですよね。そんな声を聞いて、「じゃあまた頑張らなくちゃ」と思った、そういう話も、たくさん聞いています。
日本の中、世界の中で考えると、阪神・淡路大震災を経験して、復興のなかでどこよりも先に防災の取組を進めてきた兵庫県には、これからの防災をリードしていくような役割が期待されているのかもしれません。
ただ、私のようなおじさんには、若い人たちにどうしたら当事者としてこれからの防災のことを感じていただけるのかが、なかなかわかりません。一方で、南海トラフも来ると言われています。阪神・淡路大震災から25年経ち、経験者が共有している暗黙知のようなものの継承も、大きなテーマとなってきます。
この大きな節目が、若い方にとって、防災や減災を自分事にして、これからの災害に備えるためのきっかけになれば良いと、心から願っています。だって若い方々が、これからの時代の主役ですからね。これからの兵庫県という地域の防災について、みなさんと一緒に取り組んでいけると良いなと思っています。
■プロフィール
早金孝(兵庫県防災監)
川西市出身。人生の大半を川西で過ごす。兵庫県庁に入って、36年。
近年は災害対策局長、地域創生局長、西播磨県民局長、東京事務所長など、「地域とのつながりのなかで、県の役割を考える」ポジションを歴任。広報を担当していたこともある。2018年4月より、第10代兵庫県防災監に就任。自らの経験から、「顔が見える関係づくり」こそが元気な地域をつくり、結果的に地域の防災力を高めると考えて、取り組みを進めている。
湯川カナ(兵庫県広報官)
長崎市出身。学生と社会人のはじまりを東京で、その後10年をスペインで過ごした後、神戸に移住。
すべてのこどもが未来に希望を持てる社会の実現を目指して、一般社団法人リベルタ学舎を創業。「学び・実験・協働」による地域の産官学民連携プラットフォーム運営、学生や女性がこれからの社会で活躍するための創業支援などを行う。 2018年4月より初代兵庫県広報官に就任。民間の事業を続けながら、週2日、兵庫県の仕事をしている。県をPRしない「U5H兵庫五国連邦」プロジェクト等で話題を呼ぶ。