お金じゃない価値ってなんだろう? ─バイトとボランティアを比べてみて気づいたこと─(野路美緑)

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(アルバイトとボランティアの違いって一体何だろう??)


神戸ルミナリエの募金ボランティアでの経験からこの疑問を持った私。ルミナリエから半年ほど経った2025年6月、募金ボランティアのサポートをしてくださっていた県庁職員の藤本さんと久しぶりに会って、「アルバイトとボランティアの違い」について話し合いました。

(写真左)藤本さん(写真右)野路

「やりがい」は共通していても

藤本さんにまずぶつけてみたのは、私自身が「アルバイトとボランティアの違いをあまり意識したことがない」という話でした。

野路「私はどちらも楽しんでやっているから、そんなに違いが分からないんです。やりがいみたいなのはどっちも感じるし、役に立ってるのも立ってるから、それだったらどこが違うんだろうと思って。私は今、マクドナルドでバイトしているのと、イベントバイトでチケットを売っているんですけど、ボランティアは自分の興味関心のあることでやってるんです。震災のこととか、環境保護のこととか。でも、どっちも楽しいんです。」

藤本さん「確かに、楽しさ基準とか成長ならどっちもあるよね。違いは社会貢献意識があるかどうかやと思う。ルミナリエの募金ボランティアは、ただやってくださいと言われるんじゃなくて、『このルミナリエは震災の鎮魂を目的としていて、今後も続けないといけない、だから来年も再来年も継続して開催できるように』って意味で募金をやっている。そのためにボランティアを募集している、っていう目的がちゃんとあるけど、それがバイトだと、目的を説明しなくてもとりあえず募金活動してね、でも済む話。そういう社会貢献的な意識を持って活動しているかどうかがバイトとボランティアの違いかな。」

野路「私、友達にも聞いたんですよ。バイトとボランティアの違いって何か。っていうと、ボランティアってなんか良い人しかいないよね、みたいなことを言われて、お金をもらわなくてもやってくれる人たちだから、やる気のある人しか来ないよねって。バイトはお金を稼ぐ人が多いから、やる気がないわけじゃないけど、そんなにモチベーションが高くなくてもやる人が多いのかなって。」

藤本さん「バイトはお金目的、ボランティアはお金が発生しない、でもそれ以上にやる意義があると思っているのがボランティア。お金以上に価値があるものを見つけられるからやるんじゃないかな。」

まずはやってみる、ことから始まる未来

藤本さん自身はあまりボランティア経験が無いそうですが、学生時代に一度やったことがあるのだと言います。

藤本さん「当時やったのは、東日本大震災の津波によって汚れちゃった写真を洗浄して返してあげるっていうボランティアでした。」

野路「そのボランティアはなぜ参加したんですか?」

藤本さん「きっかけは、ボランティアを経験したことがないからやってみたいっていうのと、出身が宮城でおばあちゃんが宮城に住んでて、震災でちょっと影響を受けていたからです。ただ、東日本大震災関連でボランティアを探してやっていたけど、初めはそこまでの思い入れはなくて。やっている途中で、思ったよりもそれに携わっている人がいたりとか、応募している人がいたりとかして、こんなにいるんだって思って。他の参加者と喋っている間に、他の震災で写真が汚れてそのまま固まって使えなくなっちゃった、けど今の技術なら直せるから早めに掃除してあげようという話を聞いて、自分がやっているボランティアにはお金以上に意義があると思ったんです。」

野路「初めはそこまで思い入れがなかったって言ってましたが、周りの参加者との気持ちの違いとかで罪悪感を感じることはありませんでしたか?」

藤本さん「罪悪感は特になかったです。確かに、最初は就活で話せるようにするために、というちょっと不純な目的もありました。でも、実際は行ってみないと知らないこともあったので、動機は何にせよ、行った先で得るものがあれば別にいいのかなって思います。」

私も藤本さんと同じように、動機は何にせよ、経験してみることが大切だと思っています。何事も経験してみないと、わからないと思っているし、やらない後悔よりもやって後悔する方がいいと思っている人間だからかもしれません。
小さい頃は今と違ってすごく引っ込み思案で大人しい性格の私でしたが、「やらない後悔よりもやる後悔」という考え方に変わるきっかけがありました。それは中学校の生徒会長に立候補したこと。元々は人前に立って目立つことは苦手でとても周りの目を気にしていた私でしたが、本当はリーダーのような立場に憧れを持っていたんです。立候補するのにもとても勇気が必要だったし、選挙で演説するまでもすごく悩んで泣いてしまったこともあります。でも先生や友達からの応援もあって、全校生徒の前で演説をして、無事に当選することができました。その時は嬉しくて、まさか自分が選ばれるとはと信じられない気持ちでした。
その時から、自分に自信がついてきて、色んなことにもっと挑戦してみてもいいのでは、と思えるようになっていきました。行動を起こせば、いい結果か悪い結果かはわからないけど、何か結果がでて、そこまでのプロセスも自分の糧になる。だけど行動を起こさなければ何も起きない。ならば、行動していく人生にしていきたいと思って、大学生になってからも自分の興味を持ったことに挑戦してみることにしています。
だからこそ、ボランティアでもバイトでもまずはやってみること、楽しんでみることが私の軸になっています。ボランティアは社会貢献的な意味合いが強く、アルバイトはお金稼ぎという意味合いが強いのかもしれない。そこには目的や動機の違いがありそうです。でも、私にとってはどちらも「やりがいのあること」だなと改めて感じました。

責任感には人との約束がついてくる

では、責任の違いについてはどうでしょうか?藤本さんに疑問を投げかけてみると、こんな話になりました。

藤本さん「給与が発生する分バイトの方が責任は重いと思う。だからと言ってボランティアに責任感がないわけじゃない。例えばだけど、ボランティアに友達と3人で応募して、当日に2人がいけなくなった場合は、どうする?」

野路「私1人でも行きます。」

藤本さん「それはやっぱり、人との約束があってそこに責任感が生まれるから、ってことだよね。」

野路「はい、責任っていうことに関しては、私はバイトとボランティア両方にあると思ってて。人との約束は守りたいし、守って信頼関係を壊したくない。それはボランティアも一緒で、初めて会う人とでも約束は守りたい。」

藤本さん「結局バイトやからお金が発生して、ボランティアだから発生しないという基準はあるけど、その人との約束があるかどうかで、有償だろうが無償だろうが、人との約束があるから守らないといけないと思う。」

野路「そうですね。それに私はお金をもらってももらわなくても、やりたいと思ったことは全部やりたいです。」

「人と約束をしている=責任が生じている」。藤本さんも私も、この考えは同じです。たとえお金が発生しないボランティアだとしても、そこに参加するという「人との約束」をしています。藤本さんは、自分1人や身内だけでする行動なのか、それとも誰かと約束をしているか、という面から責任の有無を判断していると言います。

バイトとボランティアには、どちらも人との約束という責任があります。しかし、成果に対する責任感ではボランティアよりもバイトの方が少し比重が重いような気がします。その違いはやはりお金をもらっているかどうかなのかもしれません。お金をもらった分はきっちりと成果として出さなければならない、ということも1つの責任なのだと思います。 

自己犠牲と思ってボランティアしたことはない

私は現在、就職活動中です。面接でボランティアをしていました、というと「意識高いね」とか、「そんなに自分を削らなくてもいいのに」と言われたことがあります。でも、自分ではそうでもないのに、と思っていました。はたから見たら「意識高い」と思われるのかもしれませんが私としては自分が楽しくてやっていること。ルミナリエも寒かったけど、楽しかったんです。そこで浮かんだ疑問も、藤本さんにぶつけてみました。

野路「ボランティアは自己犠牲の精神で成り立ってると思いますか?」

藤本さん「僕は自己犠牲で褒められる目的で行くつもりはないですね。行って褒められたら嬉しいけど、ボランティアは自分の経験にもなるし自己犠牲じゃない。ルミナリエって普通に過ごしてたら参加する機会もないじゃないですか。」

野路「私もやってないことをやってみたい、経験してみたい、という感じが近いですね。あと、ボランティアは自分に余裕がないとできないなって思います。自分に余裕があるからこそ人に何かしたいと思えるのかな。バイトだったら余裕がなくても頑張るかも。」

藤本さん「ただ、声がかかれば基本はチャンスやと思って参加したいと思っている。それもやっぱり余裕がないと無理だよね。本当に手一杯だったら参加できないし。その上で、行ってみたら何か知れるかなとか、自分がこういう経験をしたら他の人に後々こんなことしたよって教えてあげられるかなと思って、参加したいだけだから、特に自己犠牲という感じではないかな。
ど直球に言うと、やりたいことだけやってる感じなんですよね。やる前から無駄って決めるのはあんまり好きじゃなくて。やってみて何か経験できるかなと思うし、自分でシャットアウトしてしまうのは勿体無いかなと。自己犠牲で行っちゃうと結局相手に失礼というか、『わざわざ時間割いて来たってんのに』という気持ちになるのはあまり好きじゃなくて。」

自己犠牲と思ってしまうと、相手に対しても失礼になることがあります。「やってあげてる」という感覚で人と接することは自分も満たされない気持ちになると思います。

相手に受け取ってもらえることに期待しすぎない

とはいえ、自分がいいことだと思っていることが相手にとってもそうとは限らないですよね。特に災害ボランティアなどでは、他所者が何しに来たんだ!と怒られてしまうことも少なくないです。

藤本さん「そういう怒られるリスクもあるからこそ、ボランティアは自己犠牲ではやりたくないという気持ちはあるよね。自己犠牲の精神でやっていて怒られたらなんで?という気持ちになってしまう。
たとえば道にゴミが落ちてて、汚いなと感じて拾って帰る行為は、自分がしたいからやっただけというか。個人的にゴミ拾いとか人助けとかをやって、別にやってくれなくてよかったのに、と言われてもそれはそれで仕方ないかなと。」

野路「私も、相手の受け取り方は相手に任せるスタンスですね。もし怒られてもそういう考えもあるよねと受け止められる。それこそ自己犠牲でやってしまうと、なんでやねんと思ってしまうから、自己犠牲ではやりたくないと思います。」

ボランティアの行動に対する相手の受け取り方は自分では決めることができないからこそ、自分がやりたいと思うことをやることが大切なのかもしれません。

私にとってこの大学4年間は、人生の中で自由度が一番高いのでは?と思うほど、高校生の頃に比べて色んなことを経験することができました。私は行動力がある方だと思っています。人からもそんな風に見られていたと思います。だけど、そんな私の弱点は「詰め込みすぎること」なのだと最近気づきました。
サークル活動に、留学プログラムへの応募にと、心に常に余裕が無くていっぱいいっぱいになっていた日々。留学プログラムの面接では「本当に参加したいという情熱が感じられない」と言われ、ショックを受けて塞ぎ込んでしまいました。それからしばらく休んでだんだんと自分の心身ともに回復してくると、「自分の本当にやりたいこと」ってなんなんだろう?と考えるようになりました。それまでは目の前のことに追われて考える余裕がなかったのです。
興味のあることにはあれこれと手を出してやってみていましたが、いつの間にか余裕がなくなって、自分を見失っていました。頑張る自分は好きですが、頑張りすぎはよくないと気づきました。その時から「心の余白を残しておきながら毎日健やかに過ごすこと」が私の人生の目標になりました。また、人に頼ることが苦手でしたが、もっと頼ってもいいんだということに気づき、自分だけで抱え込まないように意識を変えました。そうすると、前よりも生きることが楽になって、人間関係もより楽しくなりました。
自分に余裕が無いと、ボランティア活動も「やってあげてる」という感覚になってしまうこともあるかもしれません。もしかしたら、詰め込みすぎずに余裕を持つことが、ボランティア活動をする上でも大切なのかもしれないと、改めて考えました。

災害と向き合うために、私が今できること

最後に、こんな質問を投げかけてみました。

野路「災害が起きた時に、被災した人のことを助けに行かないとって遠方まで支援物資を持っていく人のことをどう思いますか?」

藤本さん「“災害が起きて1人もしくは身内だけで人助けに行く”のはボランティアではない気がしていて、ただ人助けかなと。道端などで倒れた人を助けるのとニュアンスは一緒。個人的に被災地に行くことはあまりないかもしれませんが、被害が出たところに1人もしくは少人数で助けに行って帰ってきたときに、ボランティアしてきたとは言わないと思うんです。
ボランティアっていうものは、誰かが主催していて、そこに申し込んでやるというイメージがついていて。災害ボランティアも、個人で支援物資を持って行くのは人助けであって、募集の枠組みがあってそこに申し込んで行くものがボランティアかなと思います。」

災害ボランティアのイメージって私にとってはとても大変そうで、すぐに行動できる人の事を私はすごいなと思うし、尊敬します。被災した人のことを助けてあげたい、何かしたいということは私も思うけれど、すぐに現地に行って活動することは勇気がないとできないことだと思います。今の被災地はどんな状況なのか、何が必要とされているのか、的確な情報収集力と判断力が必要とされる現場だと思います。
私は募金ボランティアには参加したことがあるけれど、災害ボランティアには参加できないと思います。人を助けるためには、まずは自分がしっかりしていないとできません。現地に到着してからもきっとすごく体力のいる作業が多いだろうし、情報が正しいかも分からないから精神的にストレスを感じることも多いでしょう。そんな状況で他人のために動けるかどうか、今の私ではわかりません。多分難しいだろうなと思います。
でも、一度でも講習を受けてみたり、誰かと一緒に災害ボランティアを経験することができたなら、次に何かあった時にも行ってみよう、と思えるかもしれません。困っている人のために何かしたい、という強い気持ちがあればそのための行動を起こすことがきっとできるはずです。


今回の対談で、アルバイトとボランティアの違いについて、答えはないけれどもこうじゃないか?いや、やっぱりこうじゃないか?とあれこれ考えて話すことができて、これからの神戸ルミナリエのあり方や、阪神・淡路大震災との向き合い方についても考える機会になりました。
これまでは募集されているボランティアに応募する形でしか活動したことがなく、人助けに近い形での支援をしようと考えたことはなかったのですが、誰かが助けを求めていたら駆けつけられるような思いやりのある強い人になりたいです。少し自分の視野を広げてみて、人の役に立つという目的のための手段にどんなものがあるのか、調べてみてできる限りのことはやってみたいと思います。