グランピングの4つの実体験〜「当たり前」だと思い込んでいたかもしれないこと〜(松林勇希)

remember117, remember117_30年

2025年2月25日(火)〜27日(木)、高校の同級生2人と滋賀県高島市へグランピングへ行った。阪急神戸三宮で集合し、京都でJRに乗り換えて大津まで向かった。その後最寄りのレンタカーを使って親友の運転のもと宿泊地を目指した。
しかし道中がかなり長いため、ただの会話だけでは盛り上がらない。そこで、山手線ゲームをすることにした。テーマは国名や地名を用いるが、一度言った名称の使用はできない。通常と違って頭を使う場面が増え、ゲームをして楽しむ間に到着するぐらいだった。私を含めみんな楽しんでいたあの時間が今も脳裏に焼き付いている。
さて、ここでは、普段直面することがほとんどない体験をした。そこで、自分のグランピングで何があったかを思い出し、「当たり前じゃなかったかもしれないこと」を書き出してみることにした。
それでは本編に入ろう。

1. エアコンがぶっ壊れた!どうする?どうしよう?

それは突然に起こった……。宿泊部屋に到着し、暖房のスイッチを入れた。道路表示では、日中で気温はおそらく11°Cくらい。地面に雪が積もっていた。ところがスイッチを押しても温風が吹いてこない。
責任者に相談すると「壊れているかもしれないので修理業者を呼ぶ」と。結果、壊れており愕然!!この寒さのなか過ごすのはキツい、辛すぎる。日も暮れてくるし着込むだけでは…。
最終的にストーブ2基と寝袋3つ(人数分)、ベッドにあった電気毛布でなんとかまかなった。翌日、壊れていない別部屋に移動した。風邪をひかなくてよかったー……。

グランピングテント内の、問題のエアコン。/雪が積もった外の様子。とても寒かった。

今回は暖房だったので、寒さの厳しいところで使えないのは辛かった。自分は寒がりだったので寒さを見越して厚着していたが、他のメンバーはそうでなかったため彼らの方がもっと厳しかっただろう。
逆を言えば夏に冷房が使えなくなると「熱中症」というもうひとつのリスクがつきまとう。もし災害時に使えないと体調面に支障をきたす要因ともなりえるかもしれない。そう振り返って感じる。

2. 6分でシャワーを浴びきれる?できる!?︎できない!?

空調トラブルに一応のメドがついたと思いきや……またしても問題に直面した!
それがトイレ・シャワーの水まわりである。
トイレ・シャワーが部屋内になく、少し場所が離れていた。凍る寒さの中をぬって向かわなくてはならなかった。
トイレは暖房便座、洋式できれいな状態だった。しかし、非常に数が少なく、男性用トイレは1基だけだった!!「マジかよ」と思った。それ以上にキツかったのが、シャワーだった。20分交代予約制であり、超過するとアラームが鳴り、延長料金を払わなくてはならないのだ。
ところが僕らはその予約の仕方を理解しておらず、自分たち3人に対して「20分1枠のみ」を取るというバカな予約をしていた。1人あたり6〜7分しか使えない。
無理を承知で順番を決め、自分はラストにした。「こんなのできるわけがない。無謀だ」と思った。案の定できなかった。結局、日付が変わってから仕切りなおして入った。文句も言いたかった。が、自制した。
その教訓があったため、次の日はそれぞれ20分ずつ予約をおさえ、余裕をもって入ることとなった。改めて、シャワーの温かさが身にしみた。また、普段時間に追われず風呂に入れる有り難みがわかった。
しかしよくよく調べると、別場所に浴場があった。料金こそかかるが、後日その施設のinstagramを閲覧してわかった。「あったんかい!!︎」となったところでもう遅いが。

トイレ・シャワーもライフラインの不可欠な要素の1つだと思った。今回は寒さが厳しく、基数・時間に限りがあった中だったので束縛感も凄かった。
トイレはもしも夏、災害時に使えなければ、ハエも湧きニオイも臭く感染症などの衛生面に気を遣わなくてはならない。(冬は便座が冷たくなるなど)
シャワーは入りたい。湯船につからずとも浴びたい。体臭も気になる物の1つだ。

3. SNSは案外なくても過ごせる?それとも…??

グランピングでは、「デジタルデトックス」(一定期間スマートフォンやパソコンなどのデジタルデバイスとの距離を置くことでストレスを軽減し、現実世界でのコミュニケーションや、自然とのつながりにフォーカスする取り組み)を初めておこなった。主に夕食時と重複したのでたわいもない話で盛り上がり、初日はカードゲーム(トランプのスピード)をした。8戦して8勝、無双状態で上機嫌だったことを明瞭に覚えている。笑いが止まらなかった。やはり、コイツらといると「楽しいな‼︎」と。

ただ、デジタル機器を日常生活で使わないという未来は……おそらく想像できない、いや無理であろう。

親しい人と過ごす間だけ、などの条件下であれば、デジタル機器無しでも数日は平気かもしれない。ただ普段の生活となると、ほぼ全員が耐えられるとは思えない。私自身もよく使っているので、もし無くなったら厳しいかもしれない。
例えば、メッセージや通話がハンディーで出来なくなるとどうだろう。30年前は固定電話やポケベルがメインで携帯電話はまだ主流ではなかったはずだ。待ち合わせ等の約束をして集合するだけでも一苦労するなんて今の若者には考えもつかない。というより考えることすらない。また情報取得の面については、災害時でも、不可欠ではないだろうか。
ただし、デジタル機器があるからこそのトラブルも思い当たる。近年デマが問題視されることがある。SNSから根も葉もないウワサが広がることで、その人を悪く言うだけに留まらない。「いじめ」「誹謗中傷」に発展し、生命にも影響するのではないかと考える。またSNSで一度拡散されてしまうと消すことはほぼ不可能に等しい。情報源は正しく見極めて選択する必要がある。使い方を誤ると厄介なツールになることを忘れてはならない。

4. 一緒にいる人を選べることは「贅沢」である!?

「気をつかわず、気負いすぎず、気を張りすぎず」。伸び伸びと楽しく過ごすために、この三要素は不可欠だとわかった。社会人になってから気落ちしストレスを溜めた出来事が多々あっただけに、一層強く思った。
彼らとは慣れた仲だからなのか、いろんなことを自然と受け流せる。そして、娯楽を共に過ごす最中は水を得た魚のようにハイテンションになれる。今回の場合、デジタルデトックスでたわいもない話やカードゲームで盛り上がった。半年以上じっくりと話をする時間もなく、みんなが学生同士でみっちりと会話する最後の機会でもあった。これに限らず、この面子との楽しい一時が終わると、近頃いつも人並み以上に淋しさや喪失感を感じてしまう。また会えると分かっていても……。高校時代毎日のように会話をしていたことが、「当たり前」ではなかったことも示唆しているのではないだろうか。
知り合いだからこそ「共通の話題」があり、内輪揉めがあってもすぐに「元に戻る」ことができる。「本音で話し、自分が求める答えも返ってくる」「空気が読めて気遣いできる」というメリットもある。そういった存在はかなり大きい。

バーベキューをして夜まで一緒に語らった。/写真を見返すと、本当にのびのび好きに過ごしている。

人によってはどの相手とも躊躇なく接することができる人もいるかもしれない。ただ私も含めた大半の人は、そう簡単にはいかないと個人的には思う。
災害時になると誰もが非日常に直面する。避難所に入ると知り合いだけでなく、これまで交流がなかった人とも接することになる。気が張り詰めていて葛藤し、イライラが募り不安に思っている人がたくさんいるに違いない。きっと私もそうなるだろう。

「当たり前」は年代や暮らす場所等の条件によって多少異なるであろう。しかし「当たり前」が「当たり前」であるのは、実は全てにおいて「不自由なく」恩恵を受け続けているからこそなのである、と私は考える。そしてひとつ状況が変化すれば「当たり前」ではなくなる。
ここまで4つの経験を書いていて私が感じたのは、世の中が作り出してくれていた恩恵や便利の数々だった。それに加えて普通の生活、健康で過ごせることの有り難さだった。
この記事を執筆したこの数ヶ月。心身ともに辛かった時期もあった。それを耐えて、いま普通に近い状態で生活を送れる安らぎを、身にしみて感じながら生きている。