災害時でも美しく(原 郁海)

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私は、物心ついた辺りの頃から母と姉の女の子三人暮らしであり、今現在は市内の女子大学に通っているため、日々女の子に囲まれて生活している。私が休日に遊ぶのも、女の子の友達であり、一緒にプチプラなりデパコスを買いに行ったり、タピ活をしたり、インスタ映えを探したりする。大学生活や日常生活において男の子とコミュニケーションを取る機会が全くなく、背が高くてイケメンな彼氏もいないが、女子大生であることを謳歌している。

私がそのような生活を送れるのは、言うまでもなく母が一生懸命働いてくれて大学に通わせてくれているからだ。看護師として働いている母は私に言う「女性も社会に出て働き続けることが大事。一人でも生きていけるようにしなさい。」と。

阪神・淡路大震災が起きた当時、私の母は大学に通っており、私の祖母は自宅でクリーニングの取次店をしていた。自宅周辺は被害が大きく、ライフラインも止まっていたのだが、クリーニングの工場は被害がなかったため、祖母の家は被災している中でも仕事が続けられていた。沢山のお客さんが祖母の店に押しかけ、店は大繁盛。被災しながらもお金を稼いだ、働く女性の一人であった。

祖母は被災していながらも自宅で仕事が続けられていたが、実際は会社に働きに行く人の方が多いと思われる。ライフラインが止まっている中、祖母のように働く女性達はどのようにして会社へ仕事をしにいっていたのか。



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