それだけはほんとに、うれしかった。(福島由衣)
私は父親が嫌いだ。
最後に父親を見た記憶があるのは、幼稚園の初等部のころだと思う。私は車の後部座席に乗っていて、前の席に座っている父親のはげっぽい頭の形を見ていた。しかも夕焼けで逆光のシルエットだった。もうひとつ覚えているのは、土曜か日曜か、幼稚園がなかった日に電話が鳴らなかったこと。私はお母さんに、「どうして電話が鳴らないの?」と聞いた気がする。電話が鳴ったらいつも父親との待ち合わせ場所に行っていた。でもその日は家庭用電話が鳴らなくて、それからもずっと、二度と鳴らなかった。
私の母はシングルマザーで、私が生まれて数年してから父親と離婚している。先ほど書いた父との記憶は、どうやら、離婚後に父が母と私に面会をしにきていたときのことらしい。正直私は、あの1ヶ月に1回くらい会っていたおじさんが父親だなんて思っていなかったし、当時は父親だと教えられてもいなかった。
物心がついてから、家庭には父親がいるものなのだと知って、家族に父のことを尋ねた。そうしたら、お父さんは働かなかったとかお父さんはお母さんを殴っていたとか聞いて、なるほど、もういいや、と感じた。
そんなこんなで父親が嫌いだ。私をさみしくさせた罪、優しくて頑張り屋のお母さんに元夫の悪口を言わせた罪、ところで養育費ってどうなっているんですか?の罪、娘に父親なんかいらないと思わせた罪。そういうのがあの人にはあると思っている。面と向かって、ちゃんと話したこともないけれど。
でも、嫌いなお父さんに、好きなところがひとつだけある。
阪神・淡路大震災が起こったとき、お母さんと私を守ってくれたところ。
震度7だった西宮市で、寝ているあいだに棚が倒れてきて、運が悪ければ家族みんな死んでいた。私は1歳で、大人はお母さんとお父さんだけ。ぐちゃぐちゃになった家からとにかく出ようとしたときに、ドアが歪んでいて開かなかったらしい。けれど、そのとき、お父さんがハンマーでドアを壊してくれたそうだ。
その話をお母さんから初めて聞いたとき、ああ、なんだ、よくわかんないおじさんじゃなくて、お父さんだった瞬間もちゃんとあったんだ。そう思った。
お父さん、大嫌いだけど、それだけはほんとに、うれしかった。