兵庫県広域防災センター体験記スピンオフ(上利侑也)
2019年10月6日
僕は、「地震の揺れがわからない」という疑問を解くため、兵庫県広域防災センターへ行って来ました。
阪神淡路大震災のお話を聞いたことと、津波の映像を見た記録
ちなみに前回は、地震の揺れの感想を率直に体験記に記しました。宜しければ読んで下さい。
13時少し前、学習棟にて担当の浦谷さんにご挨拶
「ようこそ、チームメンバーの皆さん!」
あれ? 僕は、申込時に大きなミスをしていた。「リメンバー」の「リ」が無い。
13時00分 地震体験の前に、防災講話を聞く。
阪神・淡路大震災のお話
「憎い地震」揺れたことだけが被害ではなかった。
浦谷さんは、この地震を何度も「憎い地震」と言った。
新築一戸建てを神戸に建て、数年後に増改築した。ローンが2つ出来た。
その翌年に起きた阪神・淡路大震災。増築部分は、本体とはっきり分かれるほど離れてしまい、「全壊」と判断された。
家は無くなったのに、ローンだけが2つ残ったまま。
そのローンを返していくために、仕事を定年退職しても働かれているそう。
ジョークのように笑いも交えながら話されたけど、僕には「地震によって家が壊された」という事実だけが強く刺さった。
今思うことは、揺れを経験することだけが、自分にとっての防災ではないかもしれない。
起震車で揺れを感じたが、どこかリアルさが薄い。なぜ同じ震度の揺れを経験したはずなのに、そう感じたのか。
東日本大震災の宮城県の津波の映像を見た
10分ぐらいの動画だったと思う。
5分ぐらい過ぎた時「そっちじゃねえ、市役所さこお」「死ぬぞ逃げろお」と役場の屋上に逃げていた男達が叫ぶ。
男達の目の前の飲み込まれそうな漁港を見ながら、人間よりも少し背の高い岸壁を隔てた湾岸道路を通る人に向かって、必死に叫ぶ声と一緒に流れた。
一瞬にして、岸壁の上を越えた津波は、街の中に侵入して、飲み込んだ。
「なにこれぇ、さっきの人は?」「すべてが終わった」と、落胆している瞬間までも見た。声のトーンもさっきまでと全く違う。
学習室内の空気が非常に重たくなった。
撮影担当のフユちゃんでさえも、肩の力を失ってしまい、カメラを下に降ろしてしまっていた。
最後の方には、「なんだよ これ」と怒った口調で落胆する声、
「もう何もわがんねぇあ」という言葉の後、動画が止まった。
胸が強く締め付けられているようで、呼吸がし辛かった。言葉も出なかった。
「なんで地震なんか経験したいって言ったんやろう」という恐怖と共に、だんだん近づく地震体験に、心臓のバクバクも大きくなっていた。
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