「僕と阪神・淡路大震災」(上利侑也)
「僕と阪神・淡路大震災」
僕は、生まれも育ちも兵庫県姫路市で、災害には無縁に近い。
でも、小学生の時から毎年1月17日近くには防災学習がありました。学校の体育館とかで学習用の記録ビデオを見たり、語り部さんによる講話を聞くことがほとんどでした。講話で震災を体験された方から聞くお話はリアルで、何も経験していないし知識もないのに、人の死とか急な悲惨を突きつけられていました。
ただただ飲み込むようにその時間を過ごしていて、「怖いな、何か備えないと」という教訓を学んでいました。
でも、その時間が終わると、休み時間になり、いつも通りの日常が戻ってきてしまって「教訓」はいつの間にか、毎回書いていた感想文の提出と一緒に薄れてしまっていました。
過ごしてきた町では災害が起こっていないから、どうしても自分事にする機会が無く、「阪神・淡路大震災」は僕にとって、年に一度学習するものでした。
2020年1月17日(阪神・淡路大震災から25年が経った日)
この日を、特別な日のように感じています。
僕は生まれていなかったけど、25年前に災害が起こったという節目の日だからかな。それとも、初めて阪神・淡路大震災関連のイベントに参加するからかな。
「やっぱり震災イベントって暗いのかな」
毎年テレビで目にするものは、暗い空間に灯篭の光が見えて、来られている方が手を合わせている様子がほとんどです。
どんな雰囲気の会場なのか、どんな25年間の流れが感じられるのだろうか、テレビで見るものとどんな違いがあるんだろう。
今日参加するのは「ひょうご安全の日のつどい」です。
災害メモリアル施設「人と防災未来センター」の隣のHAT神戸で開催されます。
「震災を風化させない『忘れない』『伝える』『活かす』『備える』」ことが目的で、兵庫県民、行政の防災関連組織等が連携して、阪神・淡路大震災の経験と教訓を広く発信し、起震車での地震体験や自衛隊による炊き出し、防災商品を展開しているメーカーの展示等、50ブースぐらいが集まります。次の大災害への備えや対策の充実に繋がるような学びや体験ができるイベントです。
会場に到着するまでは、全く違うものを想像していました。それは写真展示とかコンサートとかで、風化させないために直接心に響くような展示が多いイメージを持っていました。
入り口の方を見ると、どこかの恒例物産市みたいな運動会みたいな懐かしい雰囲気を感じました。
ますます想像との違いから中の様子が気になり、楽しみになりました。
どんな人が参加しているんだろう。
1月17日の早朝に震災と出会ってしまった人なのかな。そうだったら、消してしまいたい過去ではないのかな、逃げ出したくなる日ではないのかな。どんな25年を過ごしたのだろう。
違う人は、どんな接点があって今日来ているのだろう。
先日参加した「自主防災組織元気!フォーラム」では、参加者ほとんどが高齢の方だったけど、どの世代の方がいるのかな。経験していない若者や今兵庫に住んでいる方はどんな想いを持っているんだろう。
今日は、リメンバー117学生が6人参加しています。2人1組で取材、撮影を行うことになりました。
僕は、福島由衣ちゃんとチームを組みました。そして、取材役と撮影役を交互に担当しながら4ブースの方に取材させて頂きました。
〈取材先ブース紹介〉
・いきいき手芸交流会(福島由衣)
・神戸学院大学ボランティア活動支援室 学生スタッフ 災害班(上利侑也)
・NPO法人兵庫県レクリエーション協会(上利侑也)
・認定NPO法人 日本レスキュー協会(福島由衣)
──突撃取材の開始──
【いきいき手芸交流会】(福島由衣)
どこに取材へいこうかとブースを巡っていると、敷地の端っこの方にざわざわと盛り上がっているテント。そこには手作りの手芸品を並べて売っているマダムたちがいました。
お忙しそうですが取材をしても構いませんかと聞くと、「忙しそうに見せてるだけやで。もちろんいいですよぉ」といたずらっぽく笑うYさん。そんなやりとりの最中も、テントのなかは笑い声や雑談が絶えないし、お手製のポーチやカバンもどんどん売れていきます。
「この売り上げはね、全部、赤十字にお渡しするんよ」。
Yさんが教えてくれました。
「阪神・淡路大震災のあと、復興支援事業のひとつとして、『いきいき仕事塾』っていう手芸の講座が始まったんやけどね。私たちはそこに参加していて、事業が終わったあとも、自分たちで活動を引き継いだんです」。現在、Yさんたちは『いきいきネットワーク』という名前で団体を自主運営しており、毎月手芸のワークショップを開いているそう。そして、作品を年に一度のこの「安全の日のつどい」で売り、売上は寄付しているとのこと。
そうしてはきはきと淀みなく説明してくれるYさんは、とっても力強い方でした。だから私は、この方たちが被災したと、ぱっと想像ができず、どこか呑気に会話をしていて。 「私らみんな、結構被害の大きかった地域にいたよ」。手が離せなくなったYさんに代わって、お話を続けてくれたMさんの言葉に、がんっと頭を殴られたような感じがしました。
Mさんは、彼女は当時神戸市兵庫区にいて、彼女は北区……、と、順番にグループの皆さんを手で示します。「私自身も西宮市で、家が崩れて下敷きになった。下の階のひとは死んではったわ」。
Mさんがそこまで話してくださったとき、私はそんな経験を微塵も感じさせない皆さんの姿に混乱していました。にぎやかなブース。取材を申し込んだ時の優しく、茶目っ気のあるお返事。しゃっきり伸びた背筋。一瞬、ひるみました。こんなふうに振る舞えるまで、何度自分を奮い立たせたのか。
何をどこまで掘り下げていいものか、ちょっと悩んでしまっているあいだに、ブースの忙しさが増してきて取材を切り上げることにしました。お別れのとき私たちを見送ってくださる笑顔はやっぱり力強くて、でも尖っていなくて温かくて、こちらが励まされて、なんだかここはとてつもないパワースポットだったなぁと感じたのでした。強いけど優しい人って、なかなか巡り会えない気がします。私はなれないのです。
【神戸学院大学ボランティア活動支援室 学生スタッフ 災害班】(上利侑也)
活動支援室のコーディネーターから、依頼や活動募集の情報が流され、担当部署に振り分け、学生ボランティアの募集やサポートを行う組織で、担当部署は6つの班に分かれています。
その中の1つである災害班は、長期休みを利用し、熊本県、宮城県などの復興支援活動を、学生リーダーとして学生ボランティアを統括することがメインだそう。
また、被災地特産の物産展を神戸で行うなど、学内にとどまらない活動もされています。
① ウエダ ヒロキさん 男性 同大学1年生(写真右)
「将来就きたい職業により近づくため、大学での活動に野望しかなかった」
すごく落ち着いた雰囲気で、傾聴等の活動も多くされているという柔らかい口調のウエダさん。
「高校生までは、ボランティアと接する機会が無く、遠い存在のように感じていた。でも、将来就きたい職業により近づくため、大学での活動に野望しかなかった」。
その就きたい職業が、消防士だそう。
「就くためには、訓練や試験に参加するだけでなく、現場感も学び、経験することが大事。神戸学院大学には防災に特化した学部があるほど専門的で、災害班を選んだ理由は実際に現地へ行くことができるのはもちろん、多視点で幅広く活動できる環境は、とことん突き進める」。
自らチャンスを掴める環境に身を置き、多数の選択肢の中から自分の目指したいキャリアに真っ直ぐに突き進んでいる意志の強さと、話されている眼差しに、僕はメモをとるペンを止めてしまい、ウエダさんの想いに飲み込まれそうでした。
②オクダ リホさん 女性 同大学1年生(写真左)
「被災地ってどうしても暗いイメージがついてしまうけど、」
災害班に入った理由は、「高校生の時からニュースなど時事に関心が強く、日本に災害が多いことに危機感を感じていたから。それから、高校生の時、ボランティアとの距離が遠いことにも歯痒さがあった。大学では必ず入ると決意するかのように災害班に入った」。
続けて、今日も非常に楽しみだったと話す。
「学べる幅が広くなるにつれて、面白い経験や勉強になることも多くなる。そんな環境が好きで、学外での活動も多い災害班は、私にとって絶好の環境だと思う」。
柔らかな印象とは真反対に、どの言葉も、手の動きと目の力が合わさって、想いの強さに押し倒されそうになりました。僕は、オクダさんの想いを追いかけるように、メモ帳とオクダさんの目を行き来しました。
それから、今日のイベントに初めて来たそうで、印象について質問しました。
「どこを見てもお祭りみたい。被災地ってどうしても暗いイメージがついてしまう。でも、大地震の被災地がこうして揃って明るく、前に進んでいるよって伝えるイベントは、めちゃくちゃ良いと思うし、いまそこに住む私たちにも刺激になる。地域の交流って本当に面白いですよね」。
いま居る環境を冷静に俯瞰されている能力の高さや、オクダさんの経験から結びつけられたお話しに惹かれ、長話しをしてしまうほど楽しく取材させて頂きました。
ずっと視野も広く活動されてるオクダさんのように、アンテナを高く、熱く活動していこうと決意しました。
ウエダさん、オクダさん、そして災害班の皆さん、ありがとうございました!
【NPO法人兵庫県レクリエーション協会】(上利侑也)
少し歩いていると、笑い声とか「わーーーーっ!!」みたいな声に、賑やかな音に、惹かれて辿り着き、気づけばテントの中に居ました。
みんな、楽しそう。その笑顔に惹かれて取材させていただきました。
兵庫県レクリエーション協会では、ゲームやスポーツなどのレクリエーションを通して、心のケアをされている。兵庫を中心に福島県などの避難所等でも活動されている。何よりも「楽しく」「笑顔」が一番大事だと皆さんが仰る。
普段は、それぞれの本業があるが、月に数度、集まってイベントを行う。最近では、高齢者の認知症予防のストレッチを混ぜたレクリエーションや、近年問題となっている手を使わない子どもたちと手を使って身体を動かすレクリエーションも行っている。
また来年は、姫路市で「全国レク大会」が開催されるそうです。開催地が僕の地元の姫路であることもあり、勝手に親近感を抱いてしまって、たくさんお話をお聞きしました。
皆さんの素敵な笑顔に僕は心が暖かくなりました。
「立ち上げたきっかけは、災害時の経験。大人は、家の片付けとかでずっと忙しい。でも、子どもは学校も休みになっているし、遊ぶ場所すら無くなっている。そんな子どもたちのケアをしたかった」。
代表のハヤミさんは、そう仰る。また、バルーンアートを始めて20年以上経つベテランということも知りました。ずっとお話しに答えて頂きながらも、両手は止まらず、でも、バルーンの方は見ず、ずっとバルーンアートを作っていました。
その後ろでは、お客さんも盛り上がるほど、ブース内は楽しい空間で、ずっと笑い声も飛び交っていました。
イバさんは「私は、震災で兄を亡くしてるんやけど、兄が見つかる2日間、どっかで私たちと同じように、誰かの手伝いをしてると思ってた。でも、やっぱり連絡が取れなくてね。でも、その時もゴダゴダしていて泣けてない。この前も両親が亡くなったんやけど、忙しすぎて泣けてないし・・・。そのあとに笑うことでスッキリすると、笑顔って凄く良いなって思う。楽しいことをしていたら、心が楽になるよね」。
笑顔の大切さとイバさんの今の活動の想いが心に刺さって、伝えたいことが言葉に上手く出来ませんでした。「楽しいことが一番よ」という一言が、周りの笑い声も聞こえなくなるほど、僕の頭の中では薄れず、ずっと消えませんでした。
帰り際には、うさぎさんのバルーンを頂きました。でも、頭の中の「楽しいことが一番よ」の一言と想いが頭にずっと浮かんでいました。
涙が出そうな笑顔で挨拶をして、ブースを出ました。
【認定NPO法人 日本レスキュー協会】(福島由衣)
わ、わわわわわわ
わんちゃん!!
テントの前を通り過ぎながらそのふさふさの体躯に気づき、「あそこ取材に行きたい、いい? ありがとう」と上利くんに(半ばむりやり)頼んで引き返した先は、認定NPO法人 日本レスキュー協会さんのブースでした。めっちゃかわいいですよね。かわいいしか書けないです。かわいいわ。かわいい。
この子はラフィーくんというそうで、この方が金城さん。ふたりの関係は、レスキュー犬のたまごと、そのパートナーです。
ところで、レスキュー犬って、あなたにとって身近な存在ですか。私にとっては違います。正直、数年に1回ほどのペースで、救助犬を特集している番組を偶然目にして存在を思い出す、そんな感じです。映像を見ているときは、ヒーローみたいで格好いいなあと思うのですが。
「救助犬の存在は、日本ではまだ認知度が低いんです。なので、災害現場にスムーズに入れないこともあります」。金城さんの言葉に、うっとなります。こちらはラフィーくんが可愛い!というだけでふらふら寄って行ってしまいましたが、日本レスキュー協会さんは毎年、救助犬の認知度向上と資金調達のために安全の日のつどいへ参加をしているとのことでした。
「レスキュー犬は、災害時に派遣されます。崩れた瓦礫や土砂でアップダウンの激しい災害現場や、不特定多数の捜索で活躍するんです。生後3ヶ月頃から訓練を始めて、3歳の頃に救助犬になり、8歳でその役目を終えます」。金城さんにそう教えていただいて、改めて、ヒーローみたいだ、と思いました。人間では対処できない場面を助けてくれる。でも、そんなに小さい頃から、訓練を積んでいるんですね。とても厳しい役割なんですね。
「もともと犬が好きで、動物専門学校に行ったんです」。
そう仰る金城さんは、この日ラフィーくんと久しぶりに会えたようで喜んでいました。ずっとラフィーくんのお世話をしてきたのですが、去年部署が異動になり、最近は離れていたそうなのです。
「ラフィーは1歳になる頃にやってきました。あまりにも元気な子なので、体力の必要な救助犬に向いているのではないかということで、ひとりで飛行機に乗り北海道からやってきて……」。(※ちなみに日本レスキュー協会さんは兵庫県伊丹市にあります)
ラフィーくんは“呼び戻し”というステップをまだ未習得のため、救助犬としては研修中だそうですが、いつか救助犬になったらこんなに可愛い子が駆け回って、私たちのことを助けてくれるんですね。
自分が瓦礫に埋まったときのことを想像しました。
外へ声も届けられず、スマホも触れず閉じ込められているなか、レスキュー犬がにおいで見つけて助けてくれたら。本当に心強い味方だと思います。金城さんのように動物を好きな方が、わんちゃんと離れるのを寂しく感じるほどずっと一緒になって訓練をしていて、一層心強いです。でも、できれば、出動するようなことがなければいいな、とも感じました。あと1000年くらい大きな地震も土砂崩れも、ほかの災害も、起こらなかったらいいのにね。
〈取材を終えて〉
今日1日中、皆さんの災害への想いの強さを感じて心いっぱいでした。
小学生の時のように、しんどいな、こんなこと知りたくないなと思うことはありませんでした。
リメンバ−117で半年間学んできた自信があったから、なにか新しいことを知りたい、気付きを得たいという想いがあって、ひたすら取材で身を乗り出すようにお話を聞くことができ、とても嬉しかったです。
また、お話を聞いていて、災害への憎しみを語る方はほとんどいませんでした。
それは、もしかしたら25年が経つ中で想いが変わったのかもしれません。どんなことがあったのか、どんな壁を乗り越えて来られたのか、今日だからこそ聞けた事もたくさんあったと思います。貴重なお話を聞くことができ、本当に嬉しいです。でも僕だったら25年経っても、いきなり自分の時間や居場所を壊されたら憎み続けていると思います。皆さんから心の強さも感じました。
「みんなで前を向き続けているからこそ、いまの兵庫や神戸があって、わしらがまたこうして過ごせているんかもしらんね」。偶然、通りすがりに声を掛けて下さったおじさんの言葉が、響いています。
「安全の日のつどい」は、もしかしたら、ネットで見る写真や文字の情報では、防災に特化した仕組みやサービスだけが詰まったお披露目会のような印象かもしれません。
でも、それぞれ皆さんが前向きに今できることを全力で、生きておられるような心の強さを僕はここで感じました。
兵庫にあった25年間を、隠したり消したりすることなく、今日のように僕も教訓として知れる場があることや、今日のような皆さんに出会えたことがとても嬉しかったです。参加することができ、本当に嬉しいです。
上利侑也