兵庫県広域防災センター体験記(上利侑也)
メンバー紹介
上利侑也 ・・・企画代表
イッシーくん ・・・ ディレクター
いくみん ・・・ ライター
フユちゃん ・・・ メインカメラ
こうき、のんちゃん ・・・ ムービーカメラ
ざわにい ・・・ 唯一の高校生、防災士、全体フォロー
河田さん ・・・ 大人、引率、取材サポート
2019年10月6日 天気は晴れ
でも、いつもより寒いなと感じる夏のような、冬の始まりのような日
慌てて電車を降りた11時前 北鈴蘭台駅
僕は、緊張でそわそわしている間に、乗り換えを間違う。
走って反対側のホームに向かう。
そこからは、ずっとアプリの矢印を追っては到着駅の看板を確認した。
12時00分 みんなが集合場所に集まる
みんなが、神戸電鉄緑が丘駅に到着した。でも、取材サポート担当の河田さんは、まだ到着していない。
slackを見ると、「日頃、梅田の地下迷宮をクリアしていたのに、まさか新開地駅ダンジョンを攻略できないとは、恥ずかしいです」とコメントが来ていた。
神戸の新開地駅で、乗り換えに失敗していたそう。
いつもは大阪梅田の地下迷宮を経由して通勤しているはずなのに、とみんなで笑いました。
なんか僕にとっては、心がホッと落ち着いた瞬間でした。
僕は好奇心旺盛で、どこかへ行く事はワクワクする。でも、揺れを経験する事実が強過ぎて緊張していた。
神姫バスに乗車して、15分ほどで到着した「兵庫県広域防災センター」
甲子園26個分の広大な敷地の中に、消防訓練学校や、防災施設、野球グラウンド、陸上競技場などが揃う多目的施設だが、災害時には兵庫県の連絡拠点になる。
その時には、野球場や陸上競技場は、ヘリポートや支援物資の保管拠点になる。そして、全国的にもこれだけの規模で災害拠点とする所はほぼ無いそう。
阪神・淡路大震災を経験している県だからこそかと感じ、誇りに思う。
13時00分少し前 学習棟に到着、防災講話が始まる
講師の浦谷様より、阪神・淡路大震災当時の経験談や、東北地震のお話し、そこから得た教訓などを聞きました。
東北地震による津波の映像も見ました。報道で目にした当時から8年経って、映像から感じるものは何か変わっていました。
「なんで地震の揺れを経験したいなんて言ったんやろう」と映像から感じた自然災害の怖さと今から揺れを経験するという気持ちが重なって、不安の気持ちが大きくなりました。
防災講話が終わり、学習棟から起震車があるところへ移動する時も、心臓のバクバクは大きくなり続けた。
来てしまった
学習棟から移動する道中、みんないろんな表情をしていた。
僕のように、地震を体験することが急に不安になって堅い表情をする人、新しい経験だと明るい表情をした人、それぞれだった
「これが起震車か。」
「結構リアルに再現されるんかな」語尾は震えながら、独り言がこぼれ出た。
撮影の準備
車内の映像も撮影するため、カメラを固定する。
その時、初めて起震車に乗車したけど、揺れていないのにとても怖かった。
そんな気分での準備には、捗りはなかった。ただ無心にテープでカメラを固定していた。
セッティングが終わり、まずは僕が起震車に乗車する。
地震の体験カテゴリーの紹介を受ける。
阪神・淡路大震災・東北地震・熊本地震・関東大震災の再現地震から、イメージで作られた地震。揺れの大きさで分けられているのかと思っていた。
そのあとに「どれにする?」の声掛けが無かった。
「全タイプ経験するんか・・・」
脅されたような気持ちで、揺れ始めていないのに、掴まれるもの全てに掴まった。
なにも分からなくて、表情も定まらなかった。
阪神・淡路大震災の再現地震から始まった。
揺れ始めてからは、一瞬で状況が変わった。
ドシッと立ち続けられない。
体が勝手に腰を引いてしまう。
何も考える余裕ができない。
初めての揺れに身を構え過ぎて、一番安定する所から動くことが出来ない。
震度5弱から7を行ったり来たり、1分前後揺れた。
正面からの撮影を担当してくれたざわにいは、2・3回目の経験らしいが、それでもただ正面にカメラを向けておくことで精一杯。
揺れ終わるとアナウンスがあって、すぐに次の揺れが始まる。
東北地震の揺れが始まる。
「次は東北の揺れです、行きますよー」とテンポ良く始まる。
終わると、すぐに熊本地震の揺れが始まった。
連続して揺れているのに慣れない。
ただ掴まれるものに掴まって、少し離そうと試みても、一瞬で安定を失う。本当に掴まることに必死でした。
次の地震のアナウンスがあったけど、一回休憩を入れて頂いた。
「疲れた」としか言えなかった。
怖さよりも、状況が理解できない。
何がどうなっているのか。何不自由なく暮らせている地球が、本当にあんなに揺れるのか。
頭の中がハテナだらけで、上手く表現出来なかった。
しかも、揺れている間、ずっと下半身はバランスを保とうとするし、腕は力んで何かを掴んでいる。三半規管も少しおかしくなったようで、揺れが終わっているはずなのにずっと続いているようでした。
車から降りるための階段も、手すりを掴まないと転げ落ちそうなぐらい力が上手く入りませんでした。
みんなが起震車に乗り、揺れを経験した。
僕は1人で乗車したから、どこでも掴めるところを掴めた。
でも、みんなはそれぞれが立つ位置によって掴めるものが手すりだけだったり、机だけだったりした。
揺れは、いきなり震度7から始まったけど「わぁ、きゃあ」はなかった。
揺れに耐えられなくてしゃがみ込むフユちゃん
机しか掴むものがない不安定さで、全体重を机に預けようとしているノンちゃん
手すりが曲がってしまうかと思うぐらいに力強く掴むイクミン
踏ん張りで顔から汗が吹き出そうになりながら、表情が定まらないイッシーくん
自立してみようと試みて手を離したが、揺れの強さに奥歯を噛みしめるコウキくん
それぞれが、それぞれの最大限の安定を表現していた。
起震車の揺れを離れて見ていて
本当に、こんな状況で助け合いができるのか
そもそも、自分の命は自分で守れるのか
現実に地震が起こった時、周りに掴めるものがあるか分からない。あったとしても、それが壊れて凶器になる事だってありそうだ。
室内に居ても、机の下に入るべきか、布団に潜るべきか、どれを最善策として判断すべきなのか。
身を守るための知識は小学生の時から持ったつもりだったけど、それに違和感が出てきた。
と言うより、揺れを経験したからこそ、今まで鵜呑みにしていた防災の知識に疑問が出てきました。
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