揺れが分からない。(上利侑也)
揺れる怖さが分からないから。
ちょっとした揺れで、本気で焦ります。
だからこそ、経験したい。
僕は、断層が通る姫路市の田舎生まれの姫路育ちで、大学生になって初めて地元を出て、神戸で過ごすようになった。
地元を出て神戸で暮らしても、結局22年経った今でも全く災害を経験していない。
だから、災害とは無縁に近い。小さな地震しか経験した事がない。
でも、阪神・淡路大震災のような過去の災害等の事実や、防災を勉強させられていた。
正直言って、何もリアルは感じられない。事実を知るに過ぎないと考えてしまう。
だって、災害とは無縁な人生しか過ごしていないから。
ただ、「この時期が来たか」と思うことと、災害の恐ろしさを感じるだけ。
「俺って、無敵!?」
最近は、頻繁に各地で災害が起こっているのに、僕の住む地域だけを外しているように思ってしまう。
だから、無敵だと思ってしまう。
でも、怖いんです。
大きな地震を経験した事がないのに。小さな地震でも、結構怖いけど。
先日、三宮の歩道橋を歩いていたときのこと。
たくさんの車線がある道の上にまたがる歩道橋が、揺れていた。
我に返れば、車の揺れかと瞬時にわかる。
でも、不安になりました。ずっと揺れているから。
地震って、こんな感じで、不安になっていくんかな。
そのような経験と、学んだ事実から感じられる地震の予想から、漠然と想像しては、不安になる。
でも、やっぱり住んでいる町には、大きな地震が起こらない。
起こって欲しいとも思わないけど、経験として、知って起きたいなとは思ってしまう。
なんか、期待しているようで、この気持ちは誰にも話せない。失礼、無礼だっ
て、誰もが言いそうだから。
でも、「経験したい」
三木市に、地震の疑似体験施設があると聞いた。
「行きたい」しか思わない。
どんな怖さなんだろう。いや、怖さだけ感じるのであれば、幸せかもしれない。
「死にたい」
揺れているときに、そんな気持ちを感じてしまう可能性だってもちろんある。
僕は、辛さを感じると、それ以上の辛さを感じたくないから「死にたい」って思ってしまう。
腹痛になって、狭いトイレの空間で辛くなっているとき、僕は、「こんなに痛さが続くんだったら、死んで楽になりたい。」と思ってしまう。逃げたい。
もしかしたら、僕が感じる大きな地震は、腹痛で辛いときのような感覚に似ているのではないかなって思う。
地震の怖さって、そもそも例える事ができるんだろうか。
これからの人 上利 侑也