このまま逃げていいのか いや、一度向き合ってみよう(石堂航平)
僕は9月1日(日)に「人と防災未来センター」を訪れました。
「自分のこのプロジェクトに対する軸って何だろうか?」
JR灘駅を下車し目的地に向かって歩いている時に、「今日の見学で何か成果を得よう!」と思っていました。
普段ならこんな気持ちでどこにいくことがないのですが、昨日のリメンバー117のミーティングで悩んでいたのかもしれない。
次々とアップされるみんなの記事を見てワクワクして見ている自分と対照的に自分の心は
「自分のこのプロジェクトに対する軸って何だろうか?」と焦りが出てた。
そんなことを考えて歩いて15分ぐらいで目的地の「人と防災未来センター」に到着しました。入館した瞬間、初めて訪れた場所ではないのに違和感が……
「おそらく自分はここ瞬間がトラウマになっていたのかもしれない」
初めにスタッフの方に案内された場所で、大きなスクリーンで阪神・淡路大震災の被害の様子を再現した映像を見ていました。
そこには、映像が始まるまではしゃぎまわる小学校の低学年と高学年の兄弟。
「そういえば、お兄ちゃんの方は当時の自分ぐらいの歳かな」。
映像が始まると同時に室内は暗転し、「ドーン」と大きな音と同時に目が痛くなるぐらいのフラッシュに言葉が出なかった。
「おそらく、自分はここ瞬間がトラウマになっていたのかもしれない」。
小さな時よりも親しみがある神戸の街が地震によって崩壊していく映像が見るのがつらいかったかもしれない。
「だんだん気分が悪くなってきたもう帰ろうかな」と思ったその時、先ほどの兄弟を見ると二人とも父親の両脇にしがみつく姿がふっと目にはいってきた。
その子供たちを父親は優しく、少し強くその腕で包み込んでいる。
しばらくその光景を眺めてしまった。
「自分もあの時は父にしがみついていたのかな」。
「そういえば、あの時...」
人と防災未来センターを出て、駅までもどる道のりの間に少し考えごとしていた。
ほんの20分前に展示を見学していた時にスタッフのおじさんに声をかけられた。
おじさんは災害時の簡易トイレは作り方を教えてくれた。
しばらく話していたら唐突に「君は男だから、家族や大切な人をいざという時に守ってやらないと」、「しっかりしないと」。
その言葉を聞いて黙り込んでしまった。
僕は心の中で自分はまだ家族に守ってもらっている感じがあるのだろう。
それとも大事な人が出来ていないから想像も出来ないのかなあ。
だから、素直に「はい」と返事が出来なかったかもしれない。
なぜか今回の見学で自分の父を考えてしまう場面があった。
少し考えてみると、「そういえば、あの時」。
高校生2年生の時、早朝に震度5弱くらいの揺れを感じて目が覚めた。
揺れが治まった瞬間に「大丈夫か!」と今まで聞いたことがない声で父が駆けつけてきた。
僕は「大丈夫やから、寝るわ」と素っ気ない態度をとってしまった。
この態度を今までも時々思い出しては後悔している。
でも、「あの時、心配してくれてありがとう」なんて照れ臭くて言えかもしれない。
これから震災を考えていくうえであの時の父の気持ちを知りたい。
「なんとなく心配だっただろうなあ」と思うけど一度自分なりに向きあってみよう。
▶︎前回の記事 「自主防災組織元気!フォーラム」レポート