変わる雰囲気と変わる意識(佐久間功規)
自分は岐阜県大垣市出身の人間だ。地元岐阜県では震災という名はあまり聞かなかった。小学校3年の時に社会の授業で震災のことを学んだ。教科書に載っていた震災の写真を見たとき「一体何が起こっていたんだ。」ただただ、驚いていたことを今でも覚えている。授業が終わった後震災について単に興味本位で、震災の写真が映っている本や資料などを読んだ。それらを見た時「家が倒れている、地震ってこんなに怖いんだ。」そう思っていた。震災の怖さをちょっと知った。しかし、本当の震災の恐ろしさを知ったのは、6年生の時だった。卒業式を目の前にした日に、学校にいた時地震が発生した。この時も揺れも強く、学校全体が騒然としていた。経験のない強さだったので、自分は「こんな地震は初めてだ。」その時だけ思っていた。しかし家に帰ってテレビをつけると自分は映った映像に言葉を失い、自分を驚かせた。住宅の損壊、人々を襲う津波、ガス会社のガスによる火災の発生といった、見たことない風景に言葉を失い、震災の恐怖が自分を包んだ。震災の状況を見た自分は「なんて恐ろしいんだ・・・。」「本を見た時よりも明らかに違う・・。」「地震の影響はこんなに被害をもたらすんだ・・・。」とずっと思いながら、被災地の状況を見ていた。この時震災のことをもっと知った。
時が過ぎ、大学進学によりやって来た神戸は、何かが違った「なんだろう・・地元とは全く違う雰囲気だ・・。」その雰囲気は地元の岐阜とは違うというのはわかっていた。その時思い出したのは被災地であることだった。「まさか、震災のことで調べていたところに来るとは。おもってもみなかったなぁ。」そんなことを思っていた。けどやっぱりこの雰囲気の本当の違いとはなんだろう。ゆくゆく考えていると「震災に対する意識かもしれない」最初はなんとなくそんな感じだった。でもその感じは一瞬にして、確信へと変わった。街を歩いていると震災を考える。といった講演会開催の張り紙や、下宿先の近くにある。東灘図書館には震災時の写真が展示されていた。やはりこの地元との雰囲気の違いは「震災に対する意識だった!」と考えるようになった。地元では震災はなかったのであまり意識をしていない人はあまりいないのではないのかと自分は思っている。自分も震災を経験したことがなく震災の写真を見たとしても、小学生の時と同様どのような雰囲気だったのかを知らないので、震災の本当の恐ろしさをまだわかっていない。わからないこそ、いつ来るかはわからない南海トラフ地震による震災の本当の恐怖はいずれ来る。今自分は神戸市民。震災のことを「もっと知りたい。どんな雰囲気だったのかを聞きたい。」という思いが今溢れている。今、災害に対する意識が高い人たちが集まっている、このリメンバー117。この中で震災のことを話し合いながら、そして、震災を経験をした人から話を聞いて、震災のことを知っていきたいと思っている。